あさが来た|成澤泉の女子教育ニ就テのモデルの本の内容

 

朝ドラ『あさが来た』では、成澤泉が登場しあさに女子の高等教育機関

設立の必要性を説いていました。

 

風体の上がらない成澤の突然の訪問に戸惑うあさでしたが、その著書・本

「女子教育ニ就テ」を読むと、涙が止まりませんでした。

 

この成澤の著書があさの心を大きく動かして、後の日の出女子大学校

の設立へと向かいます。

 

ところでこの成澤の著書「女子教育ニ就テ」はどのような内容だったのでしょう。

 

モデルとなった成瀬仁蔵の「女子教育」をご紹介します。

 

成澤泉の女子教育ニ就テのモデルの書籍の内容

 

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まず前提として、他の記事にも書きましたが当時は女子の教育機関も

徐々に増えてきていた時代です。

 

その代表的であったのが女学校でしたが、あくまでも「良妻賢母」思想に基づくもので、

学問のほか、育児や裁縫などのカリキュラムも組まれており、

現在の大学とは大きく異なっていました。

 

そのため当時は「学校は学ぶところ。女学校は躾けるところ」

などとも言われていました。

 

しかも当時の帝国大学は事実上、女子を締め出しており、女子がはじめて

帝国大学に入学するのは大正2年(1913年)にまで下らなければなりませんでした

(東北帝国大学に女子3名が入学)

 

つまり当時の女子の最高教育機関は女学校で、女子は男子の大学のような

教育機関で学びたくとも学べなかったのです。

 

このような状況の中、成瀬仁蔵は当時の日本の女子教育を「最下等」とした上で、

著書の「女子教育」を刊行したのです。

 

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「女子教育」で理想とした女子の高等教育機関とは、女子が男子と同様に

学問を身に付けて、男子のように社会で働くことを目標としました。

 

具体的には

①   女子を「人」として教育すること(男子と同等の人格を認める)

②   女子を「婦人」として教育すること(よい妻、よい婦人となるためには教育が必要)

③   女子を「国民」として教育すること(自らのためではなく、社会に貢献するために

教育する)

 

成瀬の著書「女子教育」は、この三本の柱から女子の高等教育機関の必要性を

説いていきました。

 

このように成瀬の「女子教育」は、法律上も男子よりも女子が差別された時代

だったにも関わらず女子を男子と対等の存在として人格を認めたことや

 

女子の教育が最終的には国家のためとなるということを説いた点で、

非常に画期的な内容でした。

 

さらに「女子教育」はこのような考えに基づき、「智育」「徳育」「体育」といった

個別的な教育論を展開し、女子大学校に必要な学部や教育科目まで詳細に記してありました。

 

現代では当たり前のことでしょうが、当時としてはこのような主張は

かなり進歩的だったでしょうし、それを基に女子大学校を作るなどとは

まさに考えられないほどのスケールの企画でしょう!

 

ドラマのあさも、成澤の著書「女子教育ニ就テ」のこのあたりに感動したものと

思われます。

 

実際にあさのモデルとなっている広岡浅子も、成瀬の著書「女子教育」を読んで

感涙したことを記しています。

 

この「女子教育」こそ、日本初の女子大学校が設立される端緒となったのです!

 

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