まんぷく|香田忠彦が戦争に行く!戦死してしまうの?

 

朝ドラ『まんぷく』では、福子の姉の香田克子の夫である香田忠彦に赤紙が来て、遂に彼も戦争に行くことになります。

 

ドラマの舞台も昭和18年(1943年)になっており、太平洋戦争でもアメリカ軍が反撃してきた頃ですから、以降は多くの民間人が召集されていきます。

 

咲の夫の小野塚真一に引き続き戦争に行くことになる忠彦は無事に生還できるのでしょうか?

 

 

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香田忠彦が戦争に行く!戦死してしまうの?

 

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戦争に行く香田忠彦ですが、戦死することなく無事に生還することになります。

 

しかしフィリピンに派遣された忠彦は夜間の銃撃戦の間に、敵の照明弾が背後に落ちて爆発。

 

閃光がまともに目に入ってしまい、目を負傷して色の区別がつかなくなってしまいます。

 

特に緑と赤の区別がつかなくなってしまったことから、日本画家である忠彦にとっては致命傷となります。

 

そのため帰還した忠彦は絵を描くのをやめると言い出しますが、意外にも福子の母親の鈴などは画家をやめることに喜ぶほどです。

 

とは言え、根っからの画家である忠彦は絵をやめることはできず、色が分からないなりに描ける絵画を描こうと試みます。

 

このように忠彦は戦場で目を負傷しますが何とか無事に生還し、出征前と同じく画家として活動することになります。

 

では忠彦のモデルとなっている日本画家の有元一雄はどうだったかと言えば、戦争に行ったかどうかは不明です。

 

彼は基本的にあまり売れていない画家だったことから、資料もほとんどなく詳細などもはっきりしない人物です。

 

ただし彼は明治38年(1905年)生まれで、太平洋戦争の末期には30代前半の年齢だったことを考えると、身体に故障などのない限り出征して戦争に行った可能性は高いものと思われます。

 

そして彼は昭和53年(1978年)まで生きていますから、ドラマの忠彦と同じように戦争から生還したようです。

 

なお有元は昭和33年(1958年)に日本画の研究団体である「朴土(はくと)会」を他の日本画家らと立ち上げてその研鑽に励んだほか、展覧会なども開催しています。

 

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