まんぷくヌードルの自動販売機の実話とドラマとの違い!

 

朝ドラ『まんぷく』では、まんぷくヌードルの売れ行きが今ひとつだったことから、萬平は福子の何気ない一言をヒントにまんぷくヌードルの自動販売機を思いつきます。

 

そしてメーカーと共同開発して給湯機能がついたまんぷくヌードルの自動販売機が完成すると、これまた画期的だったことから売り上げを後押しして、後の歩行者天国での試食販売の成功につながっていきます。

 

このあたりは1971年(昭和46年)に日清食品が開発したカップヌードルの自動販売機の実話をモチーフしたエピソードです。




 

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まんぷくヌードルの自動販売機の実話とドラマとの違い!

 

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かつては高速道路のサービスエリアや幹線道路の自販機コーナーでよく見かけたカップヌードルの自動販売機ですが歴史は古く、カップヌードルの販売が開始された1971年(昭和46年)に登場しています。

 

他の記事でもご紹介しましたが、この年の9月に販売が開始されたカップヌードルでしたが、画期的なカップラーメンだったにも関わらず、販売価格が100円もしたことから当初はまったく売れませんでした。

 

当時の袋めんの相場は1袋あたり25円だったことから、その4倍もする価格が敬遠されて問屋が扱ってくれずに、消費者の目に触れることすらなかったのです。

 

そのため安藤百福は同じ年の11月に銀座三越前の歩行者天国で試食販売を実施。

 

この試食販売は若者を中心に大ウケして2万食が1日で完売になりますが、相変わらずカップヌードルがスーパーの店頭に並ぶことはありませんでした。

 

そのため日清食品はカップヌードルの独自の販売網を模索して、ひねり出したのがカップヌードルの自動販売機というわけです。

 

(カップヌードルの初期の自動販売機)

 

スーパーなどの店頭に並ばないのなら、需要がありそうな場所に自動販売機を設置して売り上げにつなげるとともに、ひとりでも多くの消費者に商品を知ってもらおうという狙いがあったのです。

 

当時はお湯が出る自動販売機はどこにもなく、メーカーと共同開発してこれを完成させることになります。

 

また「給湯販売」だったことから食品衛生法上は「飲食店の営業」にあたってしまい、本来なら都道府県の営業許可を必要としたので、東京衛生局や東京都議会などと掛け合って新しい条例を作ってもらうなどの苦労もしています。

 

こうして登場したカップヌードルの自動販売機ですが、第1号は東京・大手町の日本経済新聞社東京本社の食堂の脇に設置されました。

 

そしてその1年後には全国各地に2万台も設置され、当時の自動販売機としてはコカ・コーラに次ぐ数に上りました。

 

また自動販売機を設置した小売店を通じて注文が入るなど、売り上げにもつながっていきます。 

 

こうして徐々に消費者に認知されることになったカップヌードルは、翌1972年(昭和47年)2月の連合赤軍による「あさま山荘事件」をきっかけに爆発的に売れることになり、日清食品にとってはチキンラーメン以来の大ヒット商品になっていきます。

 

このようにカップヌードルの自動販売機は、問屋が扱ってくれなかったことがきっかけで開発されたものです。

 

(カップヌードルの現在の自動販売機)

 

「問屋が売ってくれないのならこちらから売る」という百福の気概も感じられますね。

 

ちなみにカップヌードルの自動販売機は登場当初は給湯機能のないものもあったそうです。

 

また当時はフォークが添えられていましたが、現在は箸になっています。

 

ドラマではまんぷくヌードルの自動販売機の登場によって世間に少しずつ認知されていき、歩行者天国での試食販売によってまんぷくヌードルは爆発的な売り上げを記録することになります。

 

しかし実話は逆で、歩行者天国での試食販売は好評だったものの、さほどの売り上げにつながらなかったことから自動販売機が登場したのです。

 

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