あさが来た|広岡浅子と村岡花子や市川房江の関係!すごい勉強会!

 

朝ドラ『あさが来た』では、実業家として歩みはじめた白岡あさが

お家の加野屋を守るために東奔西走する姿が描かれています。

 

史実との時系列の違いこそあれ、炭鉱経営にはじまり、

銀行や生命保険会社を設立して苦心の末に事業を軌道に乗せていきます

 

と同時に女子の高等教育の向上にも貢献して、日本初となる女子大の

日の出女子大学校の設立に尽力することになります。

 

ドラマのヒロインとしてのあさの魅力は、女性ながらに様々なことに

チャレンジする大胆な行動力もさることながら、

 

社会で得た利益を社会に還元していくという考え方や姿勢にも

見出すことができますね♪

 

これはあさのモデルとなった広岡浅子の姿勢そのものですが、

浅子は実業家を引退した後の残りの人生を女子教育や女性の地位の向上に捧げています。

 

そんな浅子の信念のもと開催されたのが、御殿場での勉強会夏期講習会)です。

 

これは1914年(大正3年)から浅子の死の前年(1918年)まで、

御殿場の浅子の別荘で有望な若い女性を集めて毎年おこなわれました。

 

しかもこの勉強会には、後に「赤毛のアン」の翻訳者となる村岡花子

婦人参政権運動の中心として活躍した市川房江なども参加していました。

 

今回はこの広岡浅子の勉強会についてご紹介します。

 

広岡浅子と村岡花子や市川房江の関係!すごい勉強会だった!

 

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広岡浅子の御殿場の勉強会は、当初は十数人の参加者で

主に女子の教育問題女性の地位向上などについて語らうもの。

 

浅子は加島屋を再興させた苦労話や体験談などを交えて、

女性の地位の向上の必要性などを説いたそうです。

 

当初は浅子の教育者としての後継者となる井上秀(田村宜のモデル)や

女性ジャーナリストの先駆けとなる小橋三四子などが参加していましたが、

後に村岡花子や市川房江も加わります。

 

村岡花子

(村岡花子)

 

村岡花子は「自分のことだけじゃなくて、日本の女性全体の幸せを考えよ」

(意訳)との浅子の言葉に感銘を受けて、若者にとって良質の物語を紹介することを

人生の目標とします。

 

一方の市川房江は、浅子が必要性を説いていた婦人参政権運動を主導します。

 

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結局婦人参政権が認められたのは第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)ですが、

市川房江は1919年(大正8年)に平塚らいてうらと新婦人協会を設立して

女性の地位向上への活動をはじめています。

 

その後長年にわたり参議院議員を務め、売春防止法の制定や麻薬追放運動

などにも尽力しました。

 

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Ž(市川房江)

このように後に各界で活躍する女性を輩出した浅子の勉強会ですが、

最晩年の浅子のライフワークでしたし、

浅子の遺志は多くの参加者たちによって受け継がれました。

 

自分のことだけではなく社会全体のことを考えてこれに還元していくという

浅子の教えは、浅子が関わった渋沢栄一五代友厚(但し、明確な資料はない)、

伊藤博文などから受けた影響も大きいでしょうね~

 

いや~それにしても豪華なメンバーが勢ぞろいした浅子の勉強会ですね~

小橋三四子にしろ、市川房枝にしろ、その後の女性の地位向上に果たした

役割は計りしれないですよね。

 

こんなメンバーを育てた浅子の存在も、女性解放運動などには欠かせない

役割を果たしたと言っていいはずです。

 

ドラマでは村岡花子や市川房江が登場するか不明ですが、「花アン」のヒロインの

吉高由里子さんにちらっとでもいいのでぜひとも花子役をやってほしいですね~

 

ちなみに浅子はこの勉強会に、娘の亀子(千代のモデル)も参加させています。

 

亀子は浅子と違いそれほど向学心が高くなかったことから

(と言っても、決して悪い人物ではない)、ちょっと苦痛だったかもしれませんね♪

 

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