あさが来た|ドラマでは描かれない加野銀行のモデル加島銀行の最後!

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさの念願だった加野銀行の経営が順調ですね!

 

あさはさらなる一手として女子行員の採用に踏み切り、これが話題となり

ますます加野銀行の経営は伸びていくことになります。

 

老舗両替商だった加野屋も明治維新の銀目停止や廃藩置県の際の

藩債の棒引きなどにより瀕死の状態に陥りましたが、

まさに不死鳥のように蘇ることになります。

 

この意味では、優良炭鉱となった加野炭鉱とこの加野銀行が果たした役割は

計り知れないですね~

 

今後の加野屋はこれらで得た収益を元手に、紡績業や生命保険業にも進出し

成長していくことになりますが、楽しみですね!

 

ところでドラマの加野銀行のモデルは、広岡浅子が経営に関わった

加島銀行です。

 

他の記事でも紹介しましたが、加島銀行は銀行設立のブームに乗り遅れる形で

開業した後発組だったので、当初はかなり経営にも苦心しました。

 

しかし浅子の晩年の大正時代に大きく伸びて、一時は大阪でも有力な銀行のひとつに

数えられたほど成長しました。

 

ところが昭和5年(1930年)に発生した昭和恐慌により大ダメージを受けると、

営業を他銀行へ譲渡し、昭和12年(1937年)には正式に廃業します。

 

まるで打ち上げ花火のような運命を辿った加島銀行でしたが、

その最後はどのようなものだったのでしょうか?

 

ドラマでは描かれない加野銀行のモデル加島銀行の最後!

 

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まず加島銀行の最盛期だった昭和元年(1926年)の預金額はおよそ

1億7694万円で、全国の普通銀行の10位となっています。

 

トップの安田銀行の5億7172万円、2位の三井銀行の4億3999万円には

遠く及びませんが、6位の三菱銀行の3億1182万円の半分超に迫る勢いです。

 

また貸付額も1億3097万円(10位)と業界7位の三菱銀行の1億7725万円に

迫っていますので、準大手と言っていいまでに成長したことがわかります。

 

この頃は広岡浅子は既に亡くなっていましたし、中川小十郎(山崎平十郎のモデル)

も既に加野銀行を去っていましたから、頭取だった広岡恵三(ドラマの千代の婿)

の辣腕は冴えわたっていましたね~

 

しかしそんな加島銀行を、昭和2年(1927年)に昭和金融恐慌が襲います。

 

この恐慌は当時の大蔵大臣の片岡直温が「東京渡辺銀行が破たんした」との

間違った情報を発言したため、全国各地で「銀行が危ない」との噂が広がって

取り付け騒ぎ(預金者の多額の預金引き出し)につながったものです。

 

ただでさえ関東大震災でダメージを受けていた銀行には、

この取り付け騒ぎは大きな痛手になり、実に32もの銀行が休業に追い込まれ、

業界5位だった第十五銀行なども経営破たんしています。

 

総額は不明ですが、加島銀行もこの昭和金融恐慌の取り付け騒ぎで、

4月18日から21日のわずか4日間で、

なんと5600万円もの預金を失っています。

 

しかし何とかこれを乗り切った加島銀行でしたが、昭和5年(1930年)に発生した

昭和恐慌は乗り切ることはできませんでした。

 

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この昭和恐慌は当時としては未曾有の大恐慌で、昭和5年だけでも倒産した会社は

823社に及び、失業者も250万人、大卒の3分の1が就職できないという

非常事態でした。

 

銀行も例外ではなく、預金も比較的安全とされた大手の安田銀行や三井銀行、

住友銀行などに集中する結果となり、有力銀行が次々に経営破たんしていきました。

 

昭和元年の時点では預金額10位だった加島銀行や同13位の近江銀行

同17位の藤田銀行などが経営破たん。

 

加島銀行に至ってはピーク時に1億7000万円を超えていた預金額も、

昭和5年の6月の時点で約206万円まで激減しています。

 

まさに加島銀行は「天国から地獄」への運命を辿りました。

 

その後は大同生命に経営を集中するという広岡家の判断もあり、

加島銀行は鴻池銀行、山口銀行、野村銀行へ営業譲渡し、

昭和12年(1937年)に正式に廃業しています。

 

ただし、この際に非常に立派だったのが当時の加島銀行の経営陣です。

 

経営が破たんした際に、広岡恵三は債務はすべて広岡家が返済するとの声明を出し、

実際に私邸を売るなどして債務の返済に努めました。

 

また、こちらのサイトに以前頂いたコメントによりますと、

常務の松井萬緑氏も自己破産などはせずに戦後まで債務の返済をしていたそうです。

 

まさに当時の加島銀行の経営陣たちは、最後の最後に至るまで、

自分たちの責務を貫いたのでした。

 

事業が失敗してしまうとすぐに自己破産してしまう現代の経営者たちとは、

大きな違いですね。

 

このような経営者たちが指揮していた加島銀行ですが、昭和恐慌さえなければ…

と思ってしまうのが残念でなりません。

 

恐らく昭和恐慌を乗り切っていさえすれば、現在のメガバンクに通じるような

大銀行に成長していたと個人的には思います。

 

ちなみに加島銀行の最後は、広岡浅子の死後から18年後なので

ドラマでは描かれないでしょう。

 

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