あさが来た|波瑠演じる白岡あさの最後や死因となる病気|広岡浅子は?

 

朝ドラ『あさが来た』では、波瑠さん演じる白岡あさの大活躍が描かれています。

 

ご存知の通り『あさが来た』は明治時代に活躍し、「女傑」との異名をとった

広岡浅子の生涯をベースにした物語です。

 

とにかく当時としてはかなり型破りで大胆だった浅子の波乱万丈の生涯は、

とても興味深いものです。

 

ドラマが高視聴率をキープできているのも、やはりベースにある浅子の生涯の

尋常でなさや成し遂げた数多くの偉業のお陰であることは否めませんよね♪

 

そんな『あさが来た』ですが、ドラマも白岡あさの一代記ですから、

そのエンディングもあさの死となりそうです。

 

現時点ではどのようなものになるか発表はされていませんが、

NHKの朝ドラの場合はヒロインの死については比較的史実に沿って描きます。

 

そのためあさの最後や死期などについても、史実の広岡浅子のそれらが参考になるでしょう。

 

広岡浅子1

 

波瑠演じる白岡あさの最後や死因となる病気|広岡浅子はどうだった?

 

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結論から申しますと、白岡あさのモデルとなった広岡浅子は

大正8年(1919年)に71歳でその生涯を閉じています。

 

恐らく何らかの病気で、最後はその高齢ゆえ腎臓がやられたのでしょう。

公表されている死因は腎臓炎とされています。

 

原案本の「土佐堀川」にも、浅子はしばらく発熱し体調不良が続き、

入院して腎臓がかなり弱っていることが判明する様が描かれています。

 

大正時代の平均寿命は40代半ばくらいですから、

浅子はかなり長生きしたことになります。

 

しかも浅子は「女傑」と呼ばれるほどバイタリティー溢れる

その行動に現われているように、かなり丈夫だったようです。

 

以前の記事にも書きましたが、これまで結核乳がんなどの大病も克服してきました。

 

しかも乳がんにつきましては、61歳というかなりの高齢にも関わらず、

死を覚悟で大手術に及び、無事に生還しています。

 

さらにはその後も老いてはなお精力的な活動を続け、最晩年におこなっていた

御殿場での夏季講習会(勉強会)は死の前年まで開催しました。

 

浅子が最晩年は女子教育や女性の地位の向上のために残りの生涯を捧げますが、

まさに執念すら感じます。

 

で、「土佐堀川」に描かれている浅子の最後は次のようになります。

 

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浅子は腎臓が弱り、自らの死期を悟りますが、楽しみにしていた

大同生命の落成式に果敢にも出席して祝辞を述べます。

 

しかしその後、控室で体調が急変し意識を失います。

 

大阪医大付属病院に緊急入院した浅子のもとに、亀子(千代)、その夫の恵三、

その子供たち、小藤(ふゆ)、三井寿天子(ドラマの今井久太郎の妻にあたる人物)

が駆け付けます。

 

さらに亀子は浅子が可愛がっていた市川房江と井上秀(田村宜)に連絡をとり、

ふたりも駆け付けます。

 

そして意識を取り戻した浅子は、これまで成し遂げてきた加島屋の事業を

ひとつずつ挙げていきます。

 

「加島炭坑、加島銀行、広岡商店、大同生命、尼崎紡績…」

 

それらを言い終わると浅子は大きな声で「加島屋バンザイ!」と叫びました。

 

それを見た一同は浅子の最後を飾るにふさわしいと思い、みな涙をこらえながら

「加島屋バンザイ」を唱えました。

 

再び昏睡状態に陥った浅子は、その数日後に帰らぬ人になりましたが、

なんとも「女傑」と呼ばれた浅子らしい最後ですね。

 

そして浅子が亡くなった時は、まさに加島屋は最盛期にありました。

 

加島銀行や大同生命も娘婿の恵三の手腕で業績も右肩上がり。

 

それを見届けて亡くなった浅子も思い残すことはなかったでしょう♪

 

ドラマでは「バンザイ」はないかもしれませんが、白岡あさも

多くの親しい人々に見送られて旅立つように思えます。

 

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