あさが来た|あさの蔵野炭鉱の場所はどこ?現在はどうなっている?

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさの粘り強い交渉もあって

蔵野炭鉱の操業が再開しました。

 

加野屋の経営は傾いており、蔵野炭鉱は加野屋立て直しの切り札だったので

とりあえずはひと安心ですね♪

 

また当時の日本は近代化が進んでいた時期。石炭の需要は飛躍的に伸びていることから、

加野屋は大きな利益を手にできそうです。

 

ところで蔵野炭鉱の場所はどこにあったのでしょうか?

 

あさたちの会話からは「九州の筑前」にあったことは確かのようですが、

それ以外の手がかりがなくて気になります。

 

蔵野炭鉱があった場所はどこ?

 

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ドラマの蔵野炭鉱のモデルとなっているのは、筑豊炭田にあった潤野炭鉱です。

 

当時の筑豊炭田は日本最大の炭田(その後も戦前までは最大)

 

潤野炭鉱もそんな地域の一角に位置し、現在の福岡県飯塚市にありました。

 

この筑豊炭田の歴史は古く、地元住民は室町時代には既に石炭を

燃料として使用していたと言われています。

 

本格的な炭鉱の開発がおこなわれたのは、江戸時代の中頃(1700年代)まで遡ります。

当時の小倉藩と福岡藩が炭鉱開発を進めました。

 

明治時代に入ると三菱財閥が取得した高島炭鉱(長崎県)や三井財閥の三池炭鉱

(福岡県)などの大手資本の炭鉱が発展していきますが、

 

筑豊炭田は主に地場資本の炭鉱が多く、明治初頭には600もの炭鉱

ひしめき合っていたと言われています。

 

また伊藤伝右衛門や貝島太助、麻生太吉(元総理大臣の麻生太郎の曽祖父)、

安川敬一郎、蔵内次郎作などの「炭鉱王」と呼ばれる人物も登場します。

 

伊藤伝右衛門邸

(飯塚市にある伊藤伝右衛門邸)

 

あさのモデルとなった広岡浅子や広岡家が経営した潤野炭鉱は、

筑豊炭田でも比較的小規模の炭鉱でした。

 

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しかし浅子が炭鉱の再開発に着手した後の明治30年ころから、

採掘量や採掘される石炭の質が向上し、優良炭鉱へと生まれ変わります。

 

その後広岡家は炭鉱経営から手を引くことになりますが、

筑豊炭田の隆盛は昭和20年ころまで続きます。

 

しかしその後のエネルギー革命で石油が主役となったことや炭鉱の疲弊などもあり、

筑豊炭田は衰退していきます。

 

蔵野炭鉱のモデルとなった潤野炭鉱は1963年(昭和38年)に閉山し、

その後貝島炭鉱が1976年(昭和51年)に閉山したことで

筑豊炭田の灯は完全に消えることになります。

 

潤野炭鉱につきましては資料が非常に乏しいのですが、

現在の福岡県立嘉穂高校・付属中学(飯塚市大字潤野)の敷地に

本坑跡があります。

 

ちなみにドラマの後半で登場する成澤泉役の瀬戸康史さんは、

こちらの高校に在籍したことがあり(中退)、何かの縁を感じるのは

わたしだけでしょうか?

 

学校の敷地内なので見学等はままならないと思いますが、

飯塚市には前記の伊藤伝右衛門の邸宅があり、

築上町の蔵内次郎作邸も見学ができます。

 

また周囲の直方市や田川市、宮若市などには筑豊炭田や石炭の資料館もあります。

 

近くに立ち寄って際にはぜひ行きたいところですね♪

 

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