あさが来た|こんなにも違った白岡あさの加野屋と広岡浅子の加島屋

 

朝ドラ『あさが来た』ではあさ(波瑠)はますます商売に入れ込み、

炭鉱に目をつけます。

 

ですがさすがに炭鉱は加野屋にとっても安い買い物ではありませんし、

大きなリスクもあることから、正吉(近藤正臣)や新次郎(玉木宏)も反対します。

 

とは言えあさもただでは諦めない性格です。熱心に正吉や新次郎を説得し、

最終的には加野屋も炭鉱経営に乗り出すことになります。

 

ところで加野屋に嫁いだあさの商才を、最初に見抜いたのは正吉でした。

 

さらに正吉は、何らかんら言って商売に興味のあったあさを導いていきます。

 

その後、あさは持ち前の打たれ強さと行動力で、加野屋の屋台骨を支えていく存在に

なりつつあるのが、ここまでの朝ドラ『あさが来た』でした。

 

当初はあさのやることなすことに反対していた大番頭の雁助(山内圭哉)や

亀助(三宅弘城)らも、徐々にあさの実力を認めはじめましたね♪

 

しかし、あさのモデルとなった広岡浅子が加島屋(加野屋のモデル)を

立て直した経緯には、ドラマと史実ではかなりの違いもあります。

 

今回は、そのあたりをご紹介していきます。

 

白岡あさの加野屋と広岡浅子の加島屋の違いは?

 

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まず前述もしましたが、ドラマのあさが商売をはじめるきっかけになったのは、

正吉があさの商才を認めたからです

 

またその他にも正吉はあさをバックアップしますので、

あさにとってはなくてはならない存在です。

 

ところが史実は大きく異なります。

 

明治 加島屋

(明治時代の加島屋)

 

広岡浅子の嫁いだ加島屋もドラマの加野屋のように、

明治維新の動乱でかなりの打撃を受けます。

 

しかも加島屋にとって絶体絶命のピンチを招いたのが、

ドラマの正吉のモデルとなった浅子の義父の

広岡正饒(まさあつ)の死です。

 

この頃の加島屋の経営のかじ取りをおこなっていた饒が明治の世になると、

早々に亡くなってしまったのです。

 

このあたりはドラマとは大いに違うところですね。

 

ドラマ同様、跡継ぎの三男正秋(栄三郎のモデル)はまだ若く、

その後見人となっている夫の信五郎(新次郎のモデル)は遊び人です。

 

このように史実の加島屋では、浅子が直接経営に乗り出さなければならない

大きな理由があったのです。

 

しかも、加島屋の問題はこれだけではありませんでした。

 

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浅子の実家の三井家と加島屋の大きな違いのひとつに、

番頭たちの能力が挙げられます。

 

三井家では本家も連家も、番頭はかなりの実力主義で育成されていました。

 

事実、幕末期に三井家のピンチを救った三野村利左衛門のような

非常に有能な大番頭も抱えていました。

 

それに比べると当時の加島屋の番頭たちは、

かなりゆるかったようです。

 

大きな商家では主人が直接商いをおこなわなくとも、

番頭任せで何とかなることはよくありました。

 

平時なら加島屋も遊び人の信五郎が、家業を番頭に任せっきりでも

何とかなったかもしれません。

 

しかし時代は激動の明治です。

 

遊び人であまり商売に興味のない信五郎は言わずもがなですが、

加島屋の番頭たちも浅子が幼少時から見てきた三井家の番頭たちとは

能力差がありました。

 

このように夫も番頭も頼りにならない状況だったことから、

浅子が率先して加島屋のかじ取りをおこなったのでした。

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさは主の正吉や番頭の雁助や亀助たちと和気あいあいと

商売に励みますが、史実でももっとギスギスとしていたのかもしれませんね。

 

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