あさが来た|木村佳乃の櫛田そえと経営する蔵野炭鉱のモデルは?

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさ(波瑠)の進言で加野屋は

明治の新しい時代に合った商売を模索することになります。

 

その中でもあさが注目したのは、炭鉱です。

 

明治になって著しく近代化が進んだ日本は、鉄道や汽船などが登場します。

 

もちろんこれらの燃料は石炭です。これらに加え「富国強兵・殖産興業」政策により

多くの工場も建設されますので、石炭の需要は高まるのは明らかです。

 

あさはそれに目をつけ、炭鉱の買収を目指します。

 

ちょうどその頃、九州の蔵野炭鉱の経営者が死去。未亡人の櫛田そえ(木村佳乃)が

蔵野炭鉱を売り出しているのを伝え聞きます。

 

あさはそえに丁重な手紙を書いて、加野屋への炭鉱の売却を願い出ます。

 

その後、そえが大阪に上ってきてあさと面談。そえも若い時は

相当のじゃじゃ馬だったらしく意気投合。

 

またあさや加野屋が本気で炭鉱経営を試みている意気込みも伝わり、

そえは蔵野炭鉱を加野屋に分割払いで売却してくれます。

 

この櫛田そえや蔵野炭鉱のモデルをご紹介します。

 

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木村佳乃演じる櫛田そえのモデルは?

 

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木村佳乃さん演じる櫛田そえのモデルとなった人物の資料はほとんどありませんが、

『あさが来た』の原作本の「土佐堀川」には記述があります。

 

それによれば櫛田そえのモデルは、山村未亡人

下の名前は不明ですが、山村という姓です。

 

ドラマのように炭鉱の売却の際に、そえが大阪の加野屋にやってくるのではなく、

あさのモデルの広岡浅子との手紙のやり取りで売却が決まりました。

 

またドラマでは炭鉱の売却は分割払いという条件のみでしたが、

分割払いに加え、加島屋(加野屋のモデル)が代金を完済するまでは、

山村夫人を経営者の一端に加えて、手当てを支払うというものでした。

 

実際はドラマよりも山村未亡人に有利な条件で蔵野炭鉱を譲り受ける加島屋ですが、

話がややこしくなるので簡略化したのでしょうね。

 

また山村未亡人は非常に人柄のいい人物とされていますので、

このあたりはドラマと同じようです。

 

蔵野炭鉱のモデルは?

 

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蔵野炭鉱(のちの加野炭鉱)のモデルですが、福岡県の飯塚市にあった

潤野炭鉱(うるのたんこう)です。

 

潤野炭鉱

(日鉄二瀬工業所となった後の潤野炭鉱)

 

この炭鉱を浅子は買収して収益を図りますが、大きな断層に阻まれて

うまくいきませんでした。

 

詳細は別の機会に譲りますが、浅子は女ながら炭鉱に乗り込み、

炭鉱夫たちと寝食を共にしながらこれを指揮して、

最終的には潤野炭鉱を優良炭鉱にします。

 

ちなみにこの潤野炭鉱ですが、広岡家は1899年(明治32年)に売却して、

経営から手を引きます。

 

しかしそのわずか4年後の1903年(明治36年)には、死者64人を出す

大規模なガス爆発が発生してしまいます。

 

そして時は流れ、1963年(昭和38年)に、潤野炭鉱はその使命を終えて

閉鎖されています。

 

ドラマでは亡き夫が残した炭鉱を心ある人物に譲り渡したそえですが、

後々に炭鉱をめぐっての問題が生じたときに、そえとの約束が重要になってきそうです。

 

炭鉱という海のものだか山のものだかわからないものを経営していくことは、

多くの困難も予想され、そう簡単にはいかないでしょう。

 

そんな時、くじけそうになるあさの支えとなるのが

そえとの約束になりそうですね。

 

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