あさが来た|五代才助(友厚)の死期や死因は?家族や子供も!

 

朝ドラ『あさが来た』では、再び大阪にやってきた五代才助

(のちの友厚:ディーン・フジオカ)の活躍がはじまります。

 

明治維新でもっともダメージを受けたのが大阪の街です。

 

当時の大阪では山王寺屋をはじめとする有力両替商はことごとく

破たんしてしまいましたし、銀目停止などの新政府の政策もあって

経済も混乱していました。

 

それを立て直すのが五代才助です。と同時に、実業家として羽ばたこうとしている

あさ(波瑠)を随所で助けていきます。

 

別の記事でも書きましたが、今後の才助の活躍は目覚ましく、

その行動力やアイデアで多くの施設や企業などを立ち上げて、

大阪経済を活気づけていきます。

 

五代 銅像

 

ところで朝ドラ『あさが来た』では、才助の家族や子供は

あまり描かれることはないでしょう。

 

そこで今回は才助の家族や子供、そして死期や死因などをご紹介していきます。

 

コンテンツ

五代才助(友厚)の家族や子供は?

 

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まず五代才助は2度結婚をしています。

 

1度目は1867年(慶応3年)に、坂本広子という女性と結婚しています。

当時の才助は31歳でした。

 

この広子との間には治子という娘が誕生しますが、

才助と広子はほどなくして離婚しています。

 

2度目の結婚は1870年(明治2年)に豊子という女性が相手です。

この豊子が才助の生涯の伴侶となります。

 

ところで才助が2度目の結婚をした明治2年は、朝ドラ『あさが来た』では

才助がカンパニー構想を加野屋に紹介したあたりの頃です。

 

才助はカンパニー構想に反応しないあさに業を煮やしてキツイ言葉を投げかけますが、

あさが逆切れして才助が感心しましたよね。

 

実は史実の才助は、この頃に2度目の結婚をしていたのです。

 

この豊子との間に6人もの子供を授かります。

 

長女(五代武子)

後の才助の後継者となる九里龍作と結婚。龍作は東大教授などを経て、

五代家に婿養子に入り、才助の事業を引き継ぎました。

 

次女(五代藍子)

後に鉱山王となる才助の遺志を引き継ぎ、その没後にかつて才助が採掘権を持っていた

治田鉱山を買収して鉱山事業に乗り出すも、あまりうまくいかず。

 

三女(土居芳子)

才助の盟友の土居通夫(後の京阪電鉄社長、衆議院議員)の養女となり、

伊達剛吉郎を婿に迎えます。剛吉郎は通夫の跡を継いで主に不動産会社の社長を務めます。

 

四女(五代久子)

杉村商店の杉村正太郎に嫁ぎます。正太郎はその後、大阪商船や阪神電鉄などの

大阪の大企業の要職を歴任しました。

 

長男(五代秀夫)

 

次男(五代友太郎)

 

才助の子供は長男や次男の詳細があまりわかりませんが、四姉妹は

大阪の有力者の妻となったり、次女の藍子は才助の遺志を継いだりと、

なかなかの活躍をします。

 

これも才助と関わりのあったあさのモデルの広岡浅子の影響かもしれませんね♪

 

ちなみにドラマでは、才助に妻子がいることは間接的に描かれるでしょうが、

登場はないと思われます。

 

五代才助(友厚)の死期や死因は?

 

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史実の五代才助が亡くなったのは、1885年(明治18年)9月25日です。

 

満49歳で死因は糖尿病です。

 

この年にも日本郵船会社のあっせんをするなど、精力的に活動していた中での死でした。

 

恐らく死因となった糖尿病はかなり悪化していたにも関わらず、

変わらずに活動していたのでしょう。

 

才助のその早すぎる死は、大阪経済にとっても大きな損失でした。

 

才助が亡くなった当時、広岡浅子は35歳でした。

ちょうどその前年に炭鉱経営に乗り出したばかりの頃です。

 

ドラマではあさの炭鉱経営は10年くらい前倒しで描かれることから、

様々な困難に直面したときに才助の手助けがあることでしょう。

 

才助は生涯を懸けて大阪経済の復興・発展に尽力しました。

 

そのためその死を惜しむ人々は多く、その葬儀は現在の

御堂筋パレード以上の規模だったと言われています。

 

また才助の死後、その功績を讃える銅像が大阪商工会議所や大阪取引所、

郷里の鹿児島市などに建立されています。

 

五代才助は大阪を復興させた張本人でしたし、死後は借金だけが残ります。

 

大きな成功を収めていたにも関わらず、その利益を決して蓄財しようとは

しませんでしたし、滅私奉公というスタンスを最後まで貫いたのです。

 

それだけの人物ですから、多くの人々がその死を嘆き、葬儀にも参列したのでした。

 

まさに隠れた偉人である五代才助ですが、彼がいなければ明治期の大阪の復興は

ここまで早く成し遂げられなかったはずです。

 

心から大阪の恩人と呼べる人物ですね。

 

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