あさが来た|はつや惣兵衛ら山王寺屋の人々が夜逃げした貧民街はどこ?

 

朝ドラ『あさが来た』では、ついに山王寺屋が破たんしてしまいました

 

大阪でもっとも歴史ある両替商だった山王寺屋は、かつては売り上げも

大阪で一、二を争う豪商でした。

 

しかし、旧徳川幕府側の諸藩に巨額の貸し付けをおこなったことや

銀目停止による庶民の銀手形のパニック換金などにより、あえなく破たん。

 

はつ(宮崎あおい)や惣兵衛(柄本佑)は、(萬田久子)や栄達(辰巳琢郎)

らと夜逃げをすることになります。

 

それを知ったあさ(波瑠)は、毎日のようにうめ(友近)を連れてはつを探しました。

 

そして、ようやくとある貧民街で変わり果てた姿のはつを発見しますが、

はつはあさと会うことを拒絶します。

 

このはつや惣兵衛たちが夜逃げした貧民街はどこだったのしょうか?

 

はつや惣兵衛らの山王寺屋の人びとが夜逃げした貧民街はどこ?

 

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はつや惣兵衛の山王寺屋の人びとが流れていった貧民街は、

現在の大阪府中央区谷町だと思われます。

 

原作本の「土佐堀川」には宝泉寺(現存)の近くとありますから、

谷町6丁目付近だったと思われます。

 

この地区も「大坂夏の陣」(1615年)で焼失しその後復興した地域ですが、

ドラマの舞台となっている江戸末期から明治の初期あたりには、

 

いわゆる労働者街となっており、その中でも特に貧しい階層の人々が

多く住んでいたと言われています。

 

当時のこの地区に多かったのは長屋です。

 

長屋は時代劇などでもお馴染の木造の共同住宅。たいていが平屋建てで、

部屋数も2部屋程度と狭く、お風呂はなく、トイレ、井戸などは共同でした。

 

当時はかなり貧しい人々が暮らしていた谷町地区ですが、明治の世になると

軍需関係の製造業者(多くは軍服の業者)が移転してきて、

街は「再開発」されかなりの様変わりを遂げました。

 

ただし現在でもこの谷町地区には明治時代に建てられた長屋

(と言っても明治の中期から末期ごろ)が現存しています。

 

大阪 谷町 長屋

 

中にはその古さが若者にウケて、改装して飲食店やショップなどに

なっているものもあるそうです。

 

ところでドラマでははつはあさに会うことを拒絶しますが、

原作本「土佐堀川」ではやや描写が異なります。

 

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原作本でも三井春(はつのモデル)は当初は広岡浅子(あさのモデル)と

会いたがりませんが、最後は根負けしてあさを長屋の中に入れます

 

既に春の夫は日銭を稼ぐために行商をはじめていましたが、

浅子は「近江商人も天秤棒一本で身を起こした」と言って励ましたのです。

 

春もこのような貧民街に身を落とすことになりましたが、

意外に前向きで、天王寺屋の再興を考えています。

 

ドラマではあさが大声を出してしまい、その後借金取りが来て、

はつら山王寺屋の人びとは、この谷町の長屋からさらなる夜逃げをします。

 

このあたり以降の描写は原作本ではありませんが、逆境にもめげずに

立ち向かっていく、はつや惣兵衛の姿が描かれることでしょう♪

 

この山王寺屋の人々がどん底から這い上がっていくエピソードは、

ドラマでも大切なポイントになりそうです。

 

かつては裕福な両替商に嫁いだはつも路頭に迷うことになりますが、

決してあさを羨んだりはしませんし、両替商とはまた違うところに

生きがいなどを見出していくことが予想されます。

 

あさの奮闘もそうですが、

はつや惣兵衛の頑張りにも朝から元気をもらえそうですね!

 

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