あさが来た|広岡浅子の子供は亀子だけじゃなかった!養子がいる理由

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさと新次郎の一人娘の千代

いよいよ嫁入りすることになりそうですね。

 

当時の女子は10代半ばを過ぎれば大半は嫁いでいましたから、

20歳を超えて結婚することになる千代の嫁入りはむしろ遅いくらいです。

 

とは言いつつも、父親の新次郎の心中は複雑なはず。

 

いつになっても娘を嫁に出す父親の心境は変わらないですね~

 

ところでドラマではあさと新次郎の一人娘の千代ですが、

史実の広岡浅子と信五郎夫婦には複数の養子がいました。

 

※信五郎と女中の小藤の子どもは養子ではない

 

ドラマで描かれるかは微妙ですが、その理由は当時の時代背景からは

感心できるものなのでご紹介しておきます。

 

広岡浅子

 

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広岡浅子の子供は亀子だけじゃなかった!養子がいる理由

 

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ドラマでも描かれているように、広岡浅子と信五郎夫妻の実子は

千代のモデルとなった亀子のみです。

 

ところが戸籍上は夫婦の間に、貴登(きと)と寿天子(すてこ)という

ふたりの養女がいました。

 

そして貴登は三井家の総領家の北家の当主・三井高棟に、

寿天子は小石川三井家の当主・三井高景(今井忠嗣のモデル)に

嫁ぐことになります。

 

なぜわざわざそんなことをするのかと言えば、当時ならではの理由

がありました。

 

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たとえば寿天子の場合は実家は大阪の豪農の高木家ですが、

嫁ぎ先は連家といえども天下の三井家です。

 

当時の結婚では互いの家柄が非常に重視されましたから、

三井家に比べ高木家の格が足りないと思われたのでしょう。

 

そのため寿天子はいったん広岡家の養子となり、三井家に嫁ぐという

手順を踏んだのです。

 

確かに浅子の広岡家は江戸時代は鴻池家と並び、大阪でも

一、二の権勢を誇った両替商です。

 

また浅子らの三井家の女性も複数名嫁いでいますから、

三井家とは縁戚関係にもありました。

 

加えてこのような形にすることで、さらに広岡家と三井家の絆を強める

意味もあったようです。

 

もうひとりの養女の貴登につきましては資料がほとんどなく詳細は不明ですが、

恐らく寿天子のケースと同じような理由でしょう。

 

※追記

貴登も大阪の豪商・橋本家の娘で、浅子の養女となった理由も、

寿天子と同じでした

 

※ただし貴登は三井高棟に嫁いだものの25歳で夭折したため、

子どもはいなかった

 

貴登にしろ寿天子にしろ、実子の亀子より年上ですから、

戸籍上は亀子は三女ということになるのでしょう。

 

「家」が重視された時代ならではのエピソードですが、

現代のわたしたちからすればややこしいですね~

 

人間関係が混乱しそうなのでドラマでは描かれないかもしれませんが、

ちなみに寿天子は夫の高景とともに日本女子大学校の設立に多大な寄与

をした人物です。

 

※追記

ドラマでの寿天子は、今井忠嗣の妻で佐藤都輝子さん演じるとわです

 

それにしても当時の「家」に関する考え方は、現代とは大きく異なりますね。

以前取り上げたの妾や側室問題でも、やはりその主たる理由は「家」を

守ることです。

 

現在でも脈々と続く旧家などではそのような考え方も残っているようですが、

普通の家に生まれた人たち(私も含めて)にとっては、考えが及ばないことさえ

あります。

 

いい悪いは別にして、たった100年あまりの間でこの国は本当に大きく変わった

のですね。

 

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