あさが来た|白岡あさと広岡浅子の性格の違い!けっこう嫌われてた?

 

朝ドラ『あさが来た』では、萬谷に刺されて死線をも彷徨ったあさでしたが、

新次郎に萬谷を擁護するように願い出ていましたね~

 

まさに神対応といった感じでしたが、サトシが炭鉱を爆破したときも

最終的にはそれを許していました。

 

ドラマならではといった感もありますが、鈍感だったり、暴走しがちな反面、

人としての優しさや感謝を忘れない白岡あさのキャラクターには共感が持てますね♪

 

ところで、あさのモデルとなっている広岡浅子の性格はどうだったのでしょう?

 

超ポジティブでパワフルで打たれ強く、男勝りの性格だったことは広く知られています。

 

その反面、あまり紹介されない「負」の側面はどうだったのでしょうか?

色々と調べたものをまとめてみました。

 

けっこう嫌いな人もいたようです!

 

白岡あさと広岡浅子の性格の違い!けっこう嫌われてた?

 

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前記のように広岡浅子は男勝りで豪快な性格でしたが、その一方で

理論的な思考もできるし、気遣いもできる女性として知られています。

 

こうしてみると聖人君主のように思える浅子ですが、一方で勝気な性格が仇となり

もめ事も多く、人の好き嫌いが激しかった一面もありました。

 

実業家を引退した後に、浅子は日本女子大学校を設立した際の近衛篤麿の紹介で

愛国婦人会に入ります。

 

この愛国婦人会とは明治34年(1901年)に奥村五百子が設立した女性団体で

主に戦没者の遺族の救済を目的としていた団体でしたが、メンバーには

貴族や財閥の婦人たちが多く、

 

どうも浅子とは相性が悪かった人もいたようで、メンバーとしばしばもめ事

などもあったようです。

 

浅子も元はといえば三井家の出ですが、ドラマにもあったようにかなりの苦労をして

加島屋を立て直しています。

 

なので、ただの富裕層の女性に対する反発心のようなものもあったのかも

しれませんね。

 

また洋装を好んだ浅子を「異国かぶれ」と批判する人もいたそうですが、

それに対する浅子は次のように反論しています。

 

「人が何と言おうと突き進む自信を持つ。これこそが貧しい日本国を背負い、

世界列強に立ち向かう日本女子の進む道だと信じているからです」

 

単なる服装に関しての批判に対し、世界列強論を持ち出すスケールの大きさには

驚きますが、その反面で出る杭は打たれそうですね~

 

またその女傑ぶりから何度も講演などをした浅子ですが、叱咤激励型の口調

威圧感もあったことから、これを嫌う者もいました。

 

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その代表格は平塚らいてうで、日本女子大学校の学生だったらいてうは

創立者の成瀬仁蔵は尊敬したものの、浅子については

 

「自分の手腕に自信満々という態度で、押しつけがましい不愉快な演説」と

酷評しています。

 

※ちなみにらいてうは、浅子の後継者となる井上秀(田村宜のモデル)については、

「どこから見てもやり手」と賞賛しています。

 

平塚らいてう

(平塚らいてう)

 

他にも浅子の性格について「人を許さない性格」とか「人の批判ばかりする」などの

情報もありましたが、実際のエピソードなどが不明なのでここでは割愛します。

 

確かに浅子の豪快な性格やハッキリと物を言う姿勢などは、

女性の地位が低かった当時としては誤解を受けるかもしれませんね~

 

やはり常識にとらわれない型破りな点が浅子の最大の魅力ですから、

そのあたりを受け入れられない人もいることは容易に想像できるものです。

 

言うまでもないことですが欠点のない人間なんていませんし、

浅子の場合も欠点があったとしても、それを補って余りあるほどの

長所や功績がありますよね♪

 

恐らく苦手な人からはとことん嫌われたような浅子でしたが、

だからと言ってそれらが浅子の評価を下げるようなことはないはずです。

 

ただし、ドラマの白岡あさと広岡浅子はだいぶ性格は異なるようですね♪

 

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