あさが来た|千代の今後や将来はどうなるの?結婚や子供は?

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさと千代の親子の対立は相変わらず続いていますね。

 

高等小学校を卒業したら花嫁修業をすると言ってはばからなかった千代も、

周囲の説得で京都の白川女学校へ入学することになりました。

 

あさにしろ千代にしろ感情的になっているので、まぁ~いったん距離を置くことも

必要かもしれませんね~

 

ところで千代の今後や将来はどうなるのでしょうか?

 

モデルとなっている広岡亀子の経歴をひも解いて考察してみました。

 

恵三と亀子

 

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千代の今後や将来はどうなるの?結婚や子供は?

 

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千代のモデルとなっている広岡亀子はこれまで断片的に取り上げてきましたが、

ここでまとめてみます。

 

まず亀子が生まれたのは明治9年(1876年)で、最終学歴は京都府高等女学校卒業です。

 

恐らく明治25~26年ごろに卒業したと思われます。このあたりはドラマの設定と

ほぼ同じでしょう。

 

そして夫となる広岡恵三とは、恵三が東京帝国大学政治科に在学中

(といっても26歳)の明治34年(1901年)に結婚することになります。

 

ふたりは同い年だったので、亀子も26歳で結婚することになります。

 

※恵三の生年については明治9年とするものと、明治2年とするものがあります。

ここでは大同生命のHPなどと同じく、明治9年とします。

 

ところで亀子が女学校を卒業してから恵三と結婚するまでには、

8、9年ありましたが、その間何をしていたのか明確な資料がありません。

 

※追記

亀子は女学校卒業後は浅子の実家の東京の三井家に身を寄せていたようです。

何をやっていたかは不明で、引き続き調査してみます。

 

広岡家の家業を手伝いながら花嫁修業をしていたのか、あるいは家業とは全く別の

仕事に就いていたのか、それとも花嫁修業に専念していたのかなど

考えうる選択肢はたくさんあります。

 

千代についても、このあたりはドラマでどう描かれるかは注目ですね。

 

ちなみにドラマでは千代は、将来の夫となる東柳啓介(工藤阿須加)とは、

あさが萬谷(ラサール石井)に襲撃されて入院した病院で出会うことになります。

 

萬谷のあさの襲撃事件もフィクションの可能性が高いので、千代と啓介の出会いも

ドラマオリジナルでしょう。

 

亀子と恵三の子どもや子孫は?

 

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亀子と恵三の間には、一男四女の5人の子供が生まれます。

 

長女の多恵子は結婚の翌年の明治35年(1902年)に生まれ、後に聖心女子学院を卒業し、

男爵・神田乃武の五男で言語学・聖書学者だった盾夫と結婚することになります。

 

盾夫は著名な学者で、その後東京大学や国際基督教大学の教授を歴任した人物です。

 

次女の八重子は明治36年(1903年)生まれで、聖心女子学院を卒業後、アメリカの

ウェスレー大学へ留学・卒業しています。(その後は不明)

 

三女の佐恵子は明治37年(1904年)に誕生し、その後は聖心女子学院を卒業して、

ペルー公使などを務めた村上義温の元に嫁ぎます。

 

長男の喜一は明治40年(1907年)生まれで、京都大学の経済学部を卒業。

後に大同生命の取締役を務めています。

 

四女の美恵子は大正2年(1913年)生まれで、次女の八重子と同じくアメリカの

ウェスレー大学を卒業しています(その後は満谷氏に嫁ぐ)

 

このように亀子と恵三は子宝に恵まれて、しかもみなさん立派なお相手と結婚したり、

アメリカ留学したり、広岡家が源流の大同生命の重役を務めたりと頑張ったようです。

 

ドラマでも主役のあさが亡くなるのも、モデルの広岡浅子と同じく

大正8年(1919年)あたりだと思われますので、千代と啓介の子どもも登場しそうですね♪

 

ちなみに千代のモデルの亀子は昭和48年で亡くなりますが、

97歳という長生きだったので、その子孫などもご健在かと思われます。

 

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