あさが来た|今井銀行の総長の忠興は何をやっていたの?三井銀行は?

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさは父親の今井忠興から今井銀行の

総長就任2周年を祝うパーティーに招待されます。

 

そのためあさは新次郎とともに、娘の千代を連れて東京に行きます。

 

何かと厳しい忠興ですが、孫にあたる千代と会うのはこれが初めてのこと。

 

かわいい孫との初対面で、目尻が下がる忠興の姿が創造できますね♪

 

またあさも現在は念願の加野銀行の設立に奔走している最中ですから、

銀行業界で最先端を走る今井銀行については非常に参考になるところです。

 

ところで忠興はいつの間にか、今井銀行の総長になっていましたね~

 

忠興や忠嗣(久太郎)の今井家の人びとにつきましては、東京に行ってから

ほとんど描かれなくなりましたね。

 

ここまで忠興は何をやっていたのでしょうか?

今井銀行のモデルとなった三井銀行と併せてご紹介します。

 

実は順調に見えて、山あり谷ありだったのです!

 

三井家紋

 

 

今井銀行の総長の忠興は何をやっていたの?三井銀行は?

 

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今井忠興のモデルは、広岡浅子の義兄の三井高喜ですが、

この人も三井銀行の総長になっています。

 

また以前の記事で、小野組との共同出資だった第一国立銀行を経て

明治9年(1876年)に三井銀行を設立して、支店を全国に作って

バンバン拡張していたことは述べました。

 

まさに当時は三井銀行は銀行業界のリーディングカンパニーだったのですが、

その後に大きな局面に直面することになります。

 

それは明治14年(1881年)に、当時の大蔵卿だった松方正義が推し進めた

日本銀行の設立です。

 

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それまでは当時の大銀行だった三井銀行の大きな収入源は、公金の運用でした。

 

三井家は明治維新の際に、いち早く新政府に取り入っていたことから、

けっこう巨額の公金を運用していて、その手数料で莫大な収入がありました。

 

ところが日本銀行が設立されるとともに、三井銀行などの私設銀行が

扱うことができる公金の額は大幅に縮小されることになります。

 

ドラマの舞台は明治20年(1887年)ころですから、当時の三井銀行は

未だに公金預金に大幅に依存していたころです。

 

そのため以降は普通銀行として民間の貸付などに力を入れていかなければならない

時期でしたが、公金依存の体質からか、けっこうな不良貸付を行っていました。

 

今井高喜が三井銀行の総長になったのは、このように非常に難しい時期で

銀行自体の改革が必要だったころです。

 

しかしその後、総長代理だった三野村利助などの活躍もあり、普通銀行・預金銀行への

転換が進むと三井銀行は著しく発展していきます。

 

残念ながら高喜は明治27年(1894年)に亡くなってしまいますが、日露戦争後の

日本経済の飛躍も追い風となって、明治の末期には三井銀行は

五大銀行の筆頭格に数えられるようになります。

 

当時の五大銀行とは、三井銀行、第一銀行、三菱銀行、住友銀行、安田銀行でしたが、

貸付額・預金額ともに三井銀行はダントツで、三菱銀行の2倍もありました。

 

ドラマの今井銀行は既に大銀行ですが、描かれるかどうかは不明ですが、

今井忠興もかじ取りに苦心していたころかと思われます。

 

そして今井銀行は、忠興の死後にさらなる発展を遂げる模様です。

 

忠興の死期が迫っていることは気になりますが、今井銀行をけん引する

総長・忠興の姿をしかと見ておきたいものですね~

 

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