あさが来た|千代の通う女学校のモデルは?本当に勉強が嫌いだった?

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさや加野屋は一年後に開業を控える銀行の

設立準備で忙しい毎日を送っています。

 

銀行業務に明るい元大蔵官僚のへぇさんこと山崎平十郎も加わりましたから、

加野屋に追い風が吹くはずです。

 

順風満帆に見える加野屋やあさですが、あさと千代の対立が徐々に浮き彫りに

なっていきます。

 

確かに当時の妻の最大の務めとされたのは子どもを産むこと、

そして育てることです。

 

外で働く婦人はまだまだ少ない時代でしたし、母親は四六時中家にいて、

付きっきりで育児に励むのが当たり前でしたから、

千代も違和感を覚えているはずですね~

 

あさは千代を出産後も、炭鉱を行き来したり、五代友厚の招きで上京したりと

超多忙な日々を送っていますし、なかなか千代の世話ができません。

 

また千代がはつの長男の藍之助にあさのことを愚痴るなど、

この親子の溝も気になってきました。

 

ところでその後成長した千代は女学校へ進むか花嫁修業をするかで、

大いにあさと揉めることになります。

 

もちろんあさは進学を勧めますし、千代も最終的には女学校へ通うことになります。

 

この千代の通う女学校のモデルはどこの学校だったのでしょう?

そして本当に千代は勉強が嫌いだったのでしょうか?

 

 

千代の通う女学校のモデルは?本当に勉強が嫌いだった?

 

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千代のモデルとなった広岡亀子が実際に通った女学校は、

京都府高等女学校(後の京都府立第一高等女学校)です。

 

京都府高等女学校

 

 

この京都府高等女学校は、日本最古の公立の女学校で知られる歴史ある学校で

現在の京都府立鴨沂(おうき)高校です。

 

京都府高等女学校は明治5年(1872年)に設立の新英学級及女紅場が前身です。

 

女紅場(にょこうば)とは、明治初期に女子に読み書きや算術、

裁縫や手芸を教えた教育機関で、

 

特に下層階級の女子や芸妓などに最低限度の教育を与えることを

目的にしていましたが、その後女学校へと発展したものもありました。

 

現在はそうでもないらいしいですが、かつては京大進学者数で

全国1位になったこともある進学校でした。

 

で、リアルの亀子も勉強が好きじゃなかったのかというと、

恐らくそのようですね。

 

もちろん、そのような資料は残っていませんが、原案本の「土佐堀川」を含めて、

亀子の造形は浅子とは似つかぬようなマイペースな女性。

 

さほど勉強熱心ではなかったことを匂わす読み物などもあります。

 

学びたくても女性ゆえ学べなかった悔しさの残る浅子でしたが、

その娘の亀子は学べてもあまり学ぼうとはしなかったという

皮肉な結果になったようですね。

 

と言っても、亀子は非常に気立てがよくて性格も温和だったことから、

誰にでも好かれたみたいですし、浅子との関係も良好でした。

 

ドラマではあさと千代は、千代の幼少期から対立していますが、

これはドラマオリジナルの展開のようです。

 

そんな亀子でしたが、この京都府高等女学校の入学は浅子に

大きなプレゼントを残します。

 

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それは井上秀との出会いです。

 

秀は亀子の女学校の同級生で浅子の生き方に心酔しており、

初対面でもはっきりと意見を述べる姿に、浅子も秀を気に入ります。

 

その後、秀は浅子の秘書となり右腕として活躍。

 

最終的には日本初の家政学者になったばかりか、浅子が成瀬仁蔵とともに

設立に尽力した日本女子大学校の四代目校長を務めることになります。

 

ドラマでは秀は、吉岡里帆さんが演じる田村宜として登場します。

 

というわけで、女学校に行くことになる千代ですが、

そこでも数々のエピソードが描かれそうですね♪

 

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