あさが来た|白岡栄三郎の衝撃の最後!死因は?モデルの広岡正秋は?

 

朝ドラ『あさが来た』では、白岡栄三郎が加野銀行の開業を

決断することになりました。

 

これによりわだかまりのあった加野屋内部の問題は解決し、

あさの念願だった銀行の開業へ向かうことになりました。

 

今までは優柔不断で気の小さい面も気になった栄三郎ですが、

徐々に実業家への道を歩んでいるようですね。

 

その後、加野銀行が設立・開業となった際には、栄三郎が初代頭取

となりますので、その手腕にも注目したいところです。

 

そんな栄三郎ですが、その最後や死因はどのようなものになるのでしょうか?

 

モデルの広岡正秋は衝撃の最後を迎えていました!

 

広岡正秋

 

白岡栄三郎の衝撃の最後!死因は?モデルの広岡正秋は?

 

スポンサードリンク

 

栄三郎のモデルとなったのは、加島屋の9代目当主・広岡久右衛門正秋ですが、

明治42年(1909年)6月20日に突然死によりこの世を去っています(享年65歳)。

 

原案本の「土佐堀川」にも、前日の夕方に倒れて、翌日亡くなった描写があります。

 

また正秋が初代社長を務めていた大同生命ですが、正秋が亡くなった3日後の

6月23日に広岡家の婿の広岡恵三が2代目の社長に就任しています。

 

このような事実に鑑みれば、正秋の最後は急死だったようですね。

病気などで既に体調が悪ければ、会長職に退いていたりしますし…。

 

明確な死因は不明ですが、心筋梗塞や心臓発作、脳梗塞あたりでしょうか?

 

明治2年(1869年)に若くして加島屋の家督を継ぎ、浅子とともに

明治維新の動乱を乗り切って、加島屋の暖簾を守った正秋ですが、

本当に呆気ない最期を迎えたようです。

 

ちなみに正秋が亡くなるのは、新次郎のモデルの広岡信五郎が亡くなった

5年後にあたり、あさのモデルの浅子が亡くなる10年前にあたります。

 

また正秋が亡くなった頃は浅子は重度の乳がんを患っており、

奇跡的に大手術で生還した直後です。

 

スポンサードリンク

 

そのため浅子はあたかも正秋が自分の身代わりになって亡くなったと、

ひどく悲しむことになります。

 

この正秋の死により加島屋の経営は、名実ともに広岡恵三に承継される

ことになります(と言っても要所で浅子は口出ししますが)

 

ドラマでも恐らく栄三郎の死は同じように描かれるはずです。

 

既に大阪でも一目置かれる実業家になった栄三郎ですが、

社長を務める生命保険会社の業績も順調に伸びている中、

突然この世を去ってしまうことになりそうです。

 

その時期はあさも乳がんで倒れ、大手術を乗り越えた後なので、

残されたあさの悲しみも非常に深いものになりそうです。

 

しかもその頃には新次郎は既に他界しているはずですから、

あさとしてはもっとも頼れる人物を失うことになりますね。

 

ドラマではまだ先の話になりますが、それまでに栄三郎の実業家としての成長と

活躍ぶりに期待しましょう♪

 

送料無料の情報が満載!ネットで買うなら楽天市場

 

スポンサードリンク

 

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ