あさが来た|ドラマでは描かれない五代友厚の凄さや偉大さ!名言も!

 

朝ドラ『あさが来た』では、開拓使官有物払下げ事件に巻き込まれた

五代友厚が倒れてしまいます。

 

史実でも重度の糖尿病を患っていた五代ですので、その体も相当病魔に

蝕まれているようです。

 

ここまで何かと重要な役割を担ってきた五代がドラマからいなくなってしまう

というのは、視聴者の方々もなかなか気持ちの整理がつかないところですね…

 

ところで大阪経済の復興にその生涯を捧げてきた五代の偉業は、

ドラマでもたびたび描かれてきました。

 

今回はドラマでは描かれなかった五代友厚の凄さや偉業などをご紹介していきます。

 

五代友厚像

 

ドラマでは描かれない五代友厚の凄さや偉大さ!名言も!

 

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14歳で藩主の命を実行

 

五代友厚は薩摩藩の上級武士の次男として生まれましたが、当時の藩主が

ブレーンのひとりであった友厚の父に世界地図の模写を命じました。

 

しかし当時14歳であった友厚が、父に代わって世界地図の模写をやってのけました。

 

五代は「薩摩の三才」と呼ばれるほど有能でしたが、通称だった「才助」も

藩主が五代の才能をたたえて名付けたと言われています。

 

薩英戦争での活躍

 

イギリスと薩摩藩が戦った薩英戦争では、五代はイギリスの捕虜に

なってしまいます。

 

その時五代はイギリス軍の司令官キューパーと懐剣で刺し違えようとしますが、

短剣が見つかってしまい果たせませんでした。

 

しかし五代はキューパーに「陸戦は薩摩藩のもっとも得意とするところで、

イギリス軍は苦戦必至」と伝えました。

 

結局イギリス軍は上陸を諦めましたが、五代の巧妙な弁舌もこれに一役買ったと

指摘する研究者もいます。

 

当時世界最強だったイギリス海軍が薩摩藩に追い払われたことは、

列強諸国が日本に一目置くきっかけになりました。

 

様々な事件を解決

 

明治政府が誕生すると五代はその語学力と交渉力を買われ、諸外国との交渉を

担当する外国事務掛に任命されます。

 

当時は旧士族と外国人との衝突事件が多発しましたが、五代はその交渉力で

神戸事件や堺事件、英公使パークス襲撃事件などを解決していきました。

 

どの事件もひとつ間違えば武力衝突の可能性もあったことから、

五代の外交手腕は非常に評価されました。

 

統一通貨の発行

 

明治政府が国際的に通用する統一通貨を発行しようとした際に、

どのように作っていいのかわからなかったのですが、これにも五代は一役買っています。

 

五代は旧知の仲だったイギリス人商人のグラバーを通じて、香港にあった

英国の造幣機を入手し、それをきっかけに造幣寮(現在の造幣局)が作られました。

 

ちなみに桜の名所で有名な造幣局の「桜の通り抜け」も、

五代の「大阪のみなさんで楽しもうじゃないか!」との提案で一般開放されたそうです。

 

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みんなで儲けた

 

五代は様々な事業を起こして軌道に乗せますが、利益を独占することは

ありませんでした。

 

資金を広く集める必要もありましたが、五代は多くの大阪の商人たちが

儲けることが大阪経済を復興させる近道と考えたようです。

 

言わば五代は大阪の街のプロデューサ的な存在だったのでしょう。

 

公益性の高い施設をたくさん作っている

 

ドラマでも描かれますが、五代は企業だけではなく公益性の高い施設を

たくさん作っています。

 

大阪商法会議所や大阪株式取引所、堂島米会所、大阪商業講習所などです。

 

大阪の復興を切に願う五代の信念の表れですね。

 

幕末の偉人のひとりとして数えられる五代友厚は、他にもいろいろな

偉業がありますが、紙面の関係でこのあたりにしておきます。

 

最後に五代友厚の名言をご紹介します。

 

ドラマでは名言ならぬ迷言もあった五代ですが、けっこういいことを言っています。

 

※五代の名言はすべて原案本「土佐堀川」からの引用です

 

「仕事は命がけや。死んでも仕事は残る。そういう仕事をせなあかん」

 

「勝たなあかんで。負けの人生は惨めや。負けたらあかん、他人やない自分にや」

 

「死んでも五代の築いた大阪は残る」

 

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