あさが来た|辻本茂雄の山崎平十郎のモデルは中川小十郎!浅子の恩人

 

朝ドラ『あさが来た』の新キャストが先日発表され、

山崎平十郎を辻本茂雄さんが演じることが決まりました。

 

辻本茂雄さんといえば、吉本新喜劇の座長を務めるなど関西圏では

非常に人気のあるお笑いタレントさん。

 

演じる山崎平十郎も関西圏出身の設定ですので、

関西弁などはリアリティーがあるでしょうね~

 

平十郎は元官僚で加野屋の経営を助けるべく入社して、

あさの右腕となる人物です。

 

いわばあさの縁の下の力持ちのような存在の平十郎ですが、

そのモデルとなったのは中川小十郎です。

 

今回はこの中川小十郎についてご紹介していきます。

 

中川小十郎

 

辻本茂雄の山崎平十郎のモデルは中川小十郎!浅子の恩人

 

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中川小十郎は1893年(明治26年)に27歳で文部省に入省しますが、

当時の文部大臣で後の総理大臣となる西園寺公望に気に入られて、

わずか2年で秘書官に任命されるなど異例のスピードで出世をします。

 

しかし自分を引き上げてくれた西園寺公望が1898年(明治30年)に

病気を理由に文部大臣を辞職すると、小十郎もあっさりと文部省を去ります。

 

小十郎が文部省を去った大きな理由は西園寺の辞職ですが、

この時すでに広岡浅子とともに日本女子大学校を設立する

成瀬仁蔵を通じて、加島屋への入社を依頼されていました。

 

なので小十郎の実業界への転身は、現代的に言えば

ヘッドハンティングの要素もあったようですね。

 

当時の加島屋は経営していた潤野炭鉱を政府に売却しようとしていた頃で、

事業の中心を炭鉱から加島銀行へとシフトしようとしていました。

 

ただし当時は銀行が乱立し、またずさんな経営がなされていた銀行が

次々と倒産していき、銀行自体への信用も低下していた時代です。

 

そんなことから加島銀行も開業当初は順調に業績を伸ばしたものの、

当時はなかなかその経営も苦しくなっていたようです。

 

そんな状況で浅子の右腕になって加島銀行の立て直しを図るべく、

白羽の矢が立ったのがこの中川小十郎でした。

 

また浅子や広岡家も熱心に小十郎を口説いたらしく、小十郎も

広岡家の財産すべての運用を自分に任せてくれる熱意に感じ入り、

加島銀行の理事として加島屋に入社しました。

 

そして小十郎は浅子の期待に応えることになります。

 

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小十郎は無口で温和な性格ながら仕事には妥協せずに辣腕を振るい、

加島銀行を再建することに成功。

 

その後も大阪堂島米穀取引所の監査役や朝日生命(大同生命の前身)の

副社長を歴任するなど、加島屋の再興に尽力します。

 

そして小十郎の加島屋でのクライマックスは、1902年(明治35年)の

生命保険会社三社の合併による大同生命の設立です。

 

当初は難しいとされたこの合併ですが、小十郎が折衝役に立って

コツコツと問題をクリアしてこの合併を成功させました。

 

このように浅子の右腕として活躍した小十郎ですが、大同生命誕生の翌年に

すべての職を辞して加島屋を去ることになります。

 

もともと文部省に入省しただけあって、教育への強い情熱を持つ小十郎は

大学教育の拡充に動いたのです。

 

そして小十郎は有志とともに京都法学校を設立しますが(浅子も設立に協力)、

こちらは現在の立命館大学です。

 

その後は台湾銀行の頭取などを務めるなど実業界に復帰した小十郎ですが、

広岡浅子にとってはまさに加島屋の再興に尽くした小十郎は右腕であると同時に、

恩人と言えるべき人物だったのです。

 

ドラマでは山崎平十郎は加野屋が銀行の開業を目指すころに登場すると思います。

上記のような中川小十郎の働きに鑑みれば、平十郎も加野銀行開業にあたっては、

大いに活躍することが予想できますね。

 

もしかしたら史実以上に辣腕を振るうことにもなるかもしれません。

 

このような中川小十郎がモデルとなっている山崎平十郎を、

辻本茂雄さんがどのように演じるかも楽しみですね♪

 

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