ひよっこ|奥茨城村にテレビがあるのに電話がない不思議!昭和39年

 

朝ドラ『ひよっこ』は、増田明美さんのユニークなナレーションや

当時のテレビ番組の映像を用いるなどなかなか凝った作りが評判です。

 

「ひょっこりひょうたん島」や「ジェスチャー」などの当時のNHKの番組の

映像がふんだんに映し出されるので、当時を知る方々にとっては非常に

懐かしいと思います♪

 

ところでみね子の谷田部家があるのは、茨城県の田舎の奥茨城村です。

 

この村は架空の村ですが、みね子は通学のために自転車やバスを乗り継いでいる

ことから、けっこうな山奥の農村のようです。

 

そして舞台は昭和39年ですから、視聴者の方々から

「その時代の田舎にテレビがあるのはおかしいのでは?」とか

電話がないのにテレビがあるのは不自然」などの疑問が目立っています。

 

中には「時代考証がおかしいのでは?」との意見もありましたので、

このあたりを調べてみました。

 

すると驚きの事実が判明しました!

 

 

奥茨城村谷田部家にテレビがあるのに電話がない不思議!昭和39

 

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まずテレビ放送が開始されたのは昭和28年(1953年)からで、

その前年からテレビが売り出されましたが、その値段は23万円でした。

 

当時のサラリーマンの平均月収が3万円と言われた時代ですから、

いかに当時のテレビが高額だったか想像がつきますよね?

 

そのためテレビの普及率の統計がはじまった昭和32年(1957年)の段階では、

全国でわずか7の普及率に留まっています。

 

しかしその後はテレビの価格の下落や放送エリアの拡大、カラー放送の開始などの

追い風も吹いて急速に全国的に普及していき、昭和35年(1960年)には

普及率は44を記録。

 

前年の美智子皇后の成婚パレードがテレビ中継されたことも、大きくテレビの普及に

貢献しました。

 

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さらに昭和39年(1964年)に東京オリンピックが開催されますが、その前年には

88を記録して、39年には全国のテレビ普及率は90に届くことになります。

 

このようにドラマの舞台である昭和39年には、既に全国の9割の世帯で

テレビを所有していたのです。

 

そして当時のテレビの普及が遅れていたのは、インフラが進まなかった

北海道や東北が中心でした。

 

とすれば奥茨城村は架空の村ですが、時代考証の面から考えても、

茨城県の農村の世帯にテレビがあっても不思議ではないのです。

 

なので谷田部家にテレビがあっても、おかしくはないということに

なりますね♪

 

ちなみに谷田部家にはない電話ですが(郵便局にはある)、その普及は

テレビに比べると驚くほどの遅さです。

 

固定電話の普及率は昭和30年(1955年)の段階でわずか1%程度で、

明確な数字はないものの、昭和40年(1965年)で30%程度、

50%を超えたのが昭和47年(1972年)と言われています。

 

テレビの普及と比べて電話の普及が大幅に遅れたのは、電線などの

インフラの整備が必要だったり、固定電話の加入権が長らく8万円に設定

されていたことなどが指摘されています。

 

そのため昭和30年代や昭和40年代前半などは、家に電話を引くことは

一種のステイタスにもなっていました。

 

このように奥茨城村の谷田部家にテレビがあって、電話がないのは

歴史的なデータに基づいても自然なのです。

 

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