べっぴんさん|栄輔がファッション評論家に!石津謙介のその後が凄かった!

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、エイスを倒産させてしまって

浪人生活をおくっている栄輔ですが、ファッション評論家として

再起することになります。

 

潔が立ち上げるオライオンの紳士服ブランド「メンズオライオン」の

販促のために、栄輔は「男の着こなし講座」で講師を務めることに

なります。

 

一時は時代の寵児だった彼ですから、多くのエイスやアイビーのファンも

駆けつけることになり、マスコミの注目を集めることになります。

 

またカリスマ性も備えて、マスコミウケもする彼ですから、その後は

講演依頼や取材も殺到することになります。

 

そのため今後はファッション評論家に転身して、講演や執筆活動を

展開することにもなります。

 

経営者としては会社を潰してしまいましたが、評論家として再出発する

栄輔の前途も開けてきました。

 

そしてこれはモデルとなったVANの創業者の石津謙介が辿った道でもあります。

 

しかもデザイナーとしては超一流でしたし、評論家としても高い人気を誇りました。

 

 

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栄輔がファッション評論家に!石津謙介が凄かった!

 

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まずVAN時代の石津の功績は周知のとおりですが、昭和30年代前半までの

日本では男性ファッションに「オシャレ」という概念そのものがなかった

と言っても過言ではなく、そこに一石を投じた石津の評価は非常に高いものです。

 

彼がいなければ日本のメンズファッションは30年は遅れていたとも言われ、

長きにわたり「メンズファッションの神様」と称されていました。

 

また「TPO」という言葉を生み出したことでも知られ、VANでは昭和30年代に

「プレミアム」や「キャンペーン」という用語を使用していたと言いますから

かなりの先見の明ですね♪

 

昭和53年(1978年)のVAN倒産後はしばらくは意欲を失っており、

尾上清の口利きによってレナウンの紳士服ブランド「ダーバン」のア

ドバイザーを務めますが、これは多分に尾上からの経済援助の意味合いが

強かったと思われます。

 

しかし69歳になった昭和55年(1980年)から本格的に再起して、

デザイナーとして活動しはじめると、かつて顧問契約をしていた

帝人やクラボウが再び石津を起用しました。

 

彼はデザイナーとしては一流であり、世界的なデザイナーの

三宅一生が唯一「先生」と呼んでアドバイスを求めていたことも、

その実力の一端を示しています。

 

さらには自らのブランド「Ken Collection」や「Ken Sports」を立ち上げて、

展開していくことになります。

 

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ただしVAN時代のように自らアパレル会社を立ち上げることではなく、

あくまでもプロデュースに留まっています。

 

昭和60年代に入ると執筆活動にも精力的に取り組んで、「男の服装戦略」や

「大人のお洒落」などの著書を刊行します。

 

また美食家だった彼はグルメ本も多数手がけており、

「間違いだらけのグルメ選び」や「石津謙介味ばなし」などの

書籍も出しています。

 

さらにはその卓越したカリスマ性とダンディーぶり、語り口のソフトさで

評判だったことから、テレビや雑誌といった多くのマスメディアにも登場し、

多方面で活躍することになります。

 

YOUTUBEで晩年の石津が出演した番組の貴重な映像を見つけました

7分ごろに石津が登場します)

 

 

平成17年(2005年)524日に93歳でこの世を去りますが、寝たきりになっても

パジャマを着ることを拒み、イッセイミヤケのシャツを着て息を引き取った

という逸話さえあります。

 

ドラマでも栄輔はこれまで「日本の男をオシャレにする」というセリフを

何度も口にしていますが、まさにこれは石津のスピリッツでもあったのです。

 

失意の栄輔ですがようやく光も差してきて、モデル同様ファッション評論家として

活躍することになります。

 

このあたりには注目です!

 

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