べっぴんさん|エイスの東京進出は実話!VANタウン青山とは?

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、栄輔のエイスが拠点を神戸の三宮から

東京へと移すことになります。

 

オライオンとの業務提携は断られてしまいましたが、東京の商社KADOSHO

提携し、出資を受けて東京に進出することになります。

 

そしてこれを足固めとして全国展開していき、後には日本のファッション業界を

けん引するような人気ブランドとなります。

 

今後は大きく成長していくエイスですが、この東京進出が大きなきっかけと

なるようです。

 

ところでドラマでエイスが東京進出するのは昭和37年(1962年)ですが、

モデルとなったVANも同時期に東京へ拠点を移して、大きく飛躍するきっかけを

掴んでいます。

 

エイスの東京進出は実話!VANタウン青山とは?

 

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VAN(ヴァンジャケット)は大阪市南区の北炭屋町で創業しましたが、

アイビーブームが巻き起こりブランドの人気も急上昇してきた

昭和37年に東京へ本社を移します。

 

当初は日本橋に本社を構えましたが、翌年である昭和38年(1963年)に

青山に再移転します。

 

これは社長の石津謙介が青山を「VANビレッジ化」して、ファッションの

一大発信地としようとした計画があったからです。

 

そのためVANは青山移転後に、次々と関連施設を建設していきます。

 

昭和38年に完成したVAN本館を手始めに、VAN新館、VAN356別館、

製作部アトリエ、VAN99HALLなどの施設を次々に建設していきました。

 

(VAN本館)

 

そのため最盛期には青山の原宿通りや明治通りにいくつもの社屋や

関連施設が点在し、多くの愛好者も集まったことから、いつしか

そのあたりは「VAN TOWN青山」と呼ばれるようになりました。

 

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現在でも数多くのファッションブランドが立ち並び、オシャレな街の

イメージがある青山ですが、もともとはVANがこの地に進出したことにより、

ファッションの街と認識されるようになりました。

 

とは言え、昭和38年から昭和48年(1973年)ごろまで関連施設の建設は

続きましたから、VANはジャブジャブとお金を注ぎこんだことになり、

これらも経営破たんの一端とする指摘もあります。

 

最後の「大箱」だったVAN99HALLが完成した昭和48年から、わずか5年後の

昭和53年(1978年)にVANは会社更生法を申請することになります。

 

結局は裁判所がこれを却下して完全倒産となってしまうのですが、

あえない最期となりました。

 

しかし青山をVANの街にしてしまうなど、やはり石津謙介はアイデアマンとしては

スケールが大きいですね。

 

彼がいなければ日本のメンズファッションは少なくとも30年は遅れていたとの

見解もありますから、彼の功績なくしては語れないところでしょう。

 

ドラマでも栄輔のエイスは東京に進出しますが、果たしてどれだけの成長ぶりを

見せてくれるのか楽しみですね!

 

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