べっぴんさん|ファミリアが高島屋に出店した時のいい話!

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、すみれたちのキアリスの大急支店も

絶好調となります。

 

客入りも順調で評判もいいことから、今後は大急百貨店の看板的な

テナントに成長していきます。

 

ところでこのあたりのエピソードはモデルとなっているファミリアが

阪急百貨店と組んで、「阪急ファミリアグループ」として成長していった

実話が下敷きになっています。

 

阪急うめだ本店に出店したファミリアは好評を博しただけではなく、

「子供ショー」などの催事も成功させていました。

 

そんな状況を他の百貨店が黙って見ているわけもなく、ファミリアには

次々にオファーが届くことになります。

 

そのためファミリアは高島屋に出店することになるのですが、

その際にいい話がありました!

 

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(高島屋東京店)

 

ファミリアが高島屋に出店した時のいい話!

 

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まず当初はファミリアは阪急百貨店との義理もあり、

そのライバルである他の百貨店からの誘致のオファーは断っていました。

 

やはり同社を育ててくれたのは阪急ですし、社長の清水雅ですから、

その顔を立てたわけです。

 

で、昭和29年(1954年)に高島屋から高島屋東京店の増築記念の一環として、

子供服展を開催することを持ちかけられます。

 

高島屋もこの誘致には本気で、当時の社長の飯田慶三は田村光子

(一部明美のモデル)の夫の陽(ドラマには登場せず)とは

縁戚関係にありました。

 

そのため飯田は陽を通じてオファーを出したことから、

坂野惇子らもむげにはできない状況となりました。

 

そして筋を立てて阪急の社長の清水に相談することになりましたが、

彼からは何と「阪急が高島屋との取引を束縛する権利はどこにもない

との言葉が返ってきました。

 

言うまでもなく高島屋は阪急のライバル百貨店ですし、阪急でも大ウケの

ファミリアが出店すれば成功は目に見えているはず。

 

普通ならばライバル店への出店は渋るところですが、器量の大きな清水は

そのようなことはまったく気にしなかったのです。

 

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そのためスムーズに高島屋への出店は決まり、昭和29年の427日から

2週間にわたり東京店の4階の催事場で「ファミリア子供服展」を開催しました。

 

初日は雨が降ったにも関わらず、多くのお客が押し寄せて25万円という

多額の売上を記録します。

 

この売上は子供服の催事としては異例だったことから、業界内でも

話題になったと言います。

 

ただし高島屋への出店は阪急うめだ本店とは異なり、

常設店ではありませんでした。

 

当時のファミリアは人手不足で2号店を開く人的な余裕がなかったからですが、

東京での知名度も上がり、後に首都圏に進出する足掛かりを掴むことになりました。

 

そして惇子も清水にはさらに感服していくことになり、彼との付き合いは

一生にわたり続くことになります。

 

清水の「雅」(まさし)の名前を孫につけていることからしても、

どれだけ彼女が清水を慕っていたかわかりますね♪

 

清水にしても、潔のモデルの尾上清にしてもスケールの大きな人物で

知られていますが、このあたりは本当に人に恵まれましたね♪

 

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