べっぴんさん|紀夫の仕事ぶりがヘタレ!モデルの坂野通夫はどうだった?

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、キアリスの大急支店の開店という快挙の

傍らで紀夫の仕事ぶりが心配です。

 

もともと坂東営業部の経理を担当していましたが、社長の潔は成長を

促すために大急でおこなう洋裁教室の担当者に指名しました。

 

ところが当日にあまりの緊張のため倒れてしまい、

翌日も会社を欠勤して寝込んでしまいます。

 

どうやらこれは仮病のようですし、坂東営業部内での彼の評価も

ガタ落ちしてしまいます。

 

これには将来の同社の社長にしようとしている潔も頭の痛いところ。

 

どうも紀夫は仕事の関しては後ろ向きな面もあり、視聴者としても

イライラを感じてしまいますね~なんてヘタレなんでしょうか?

 

妻たちがバリバリと邁進しているのだから、彼にももう少し

シャキッとしてほしいものです。

 

そんな彼のモデルになっているのは坂野惇子の夫の通夫ですが、

その仕事ぶりなどはどうだったのでしょうか?

 

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(ファミリアの4人の創業者と坂野通夫)

 

紀夫の仕事ぶりがヘタレ!モデルの坂野通夫はどうだった?

 

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他の記事でもご紹介しましたが、通夫は甲南中学を卒業後に

京都帝国大学に入学し、卒業後は大阪商船(現商船三井)に入社しています。

 

当時は大学進学率がわずか3%程度の時代で、しかも京都帝国大学ですから

かなりのエリートです。

 

また彼の家は銀行家の家系で、父親の兼通は山口銀行(後の三和銀行)の

総理事を務めていましたし、兄の信夫は三菱銀行の取締役にもなっています。

 

しかしあえて大阪商船に勤務したのは、海外で働きたかったからです。

 

当時はまだまだ外国勤務にしり込みをする者も多かった時代ですから、

このあたりに彼の前向きさを感じますね~

 

また戦時中に神戸の岡本にあった自宅は空襲で焼けてしまって坂野家は

すべてを失い、その際に兄弟や親戚が援助を申し出ましたが、

通夫は「我々は乞食ではない」とすべて断っています。

 

このあたりに彼のストイックさやプライドの高さも垣間見れますね♪

 

さらに復員後はいったん大阪商船に復職しますが、昭和22年(1947年)に

五十八のモデルの佐々木八十八や潔のモデルの尾上清のたっての願いから

佐々木営業部に転職します。

 

そこでは尾上の秘書を2年間務めた後、経理、総務、貿易、営業と

様々な職務を担当しています。

 

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これは言うまでもなく、尾上が将来的に会社の社長にすべく教育したもので、

通夫も短期間でこれだけのことを任されるというのは仕事ができた証拠でしょう。

 

結局は昭和28年(1953年)に佐々木営業部を辞めてファミリアに入社

することになりますが、その際も尾上は最後まで首を縦に振らなかったと言います。

 

尾上としては坂東営業部は血縁の通夫が社長になるべきと考えたでしょうし、

何より彼にはその素養があった証拠でしょう。

 

そしてファミリア入社後は社内改革にも取り組み、同社の業績を

飛躍的に伸ばすことになります。

 

このようにドラマでは仕事に関してはたびたび後ろ向きな描写もある紀夫ですが、

そのモデルの坂野通夫はまさにエリートらしい仕事ぶりだったようです。

 

恐らくドラマとしてはすみれと並行して紀夫の成長を描いていく意図でしょうが、

このあたりは史実と大きく異なりますし、通夫は決してヘタレではありませんでした。

 

とは言え、やはり成長あっての人間ドラマですから、紀夫の今後の奮闘に

期待しましょう!!

 

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