べっぴんさん|坂東営業部の洋裁教室のモデルや実話とは?

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、ゆりのアイデアによって坂東営業部は

洋裁教室(大人の女性のためのドレスメーカー教室)を主宰することに

なります。

 

大急百貨店の一角に洋裁教室を設けて、参加した人たちに型紙と服地のセットを

販売するという企画ですが、これには新しいアイデアを求めていた

社長の大島も乗り気になります。

 

戦前は紳士服で大急特選マークをもらっていた坂東営業部でしたが、

戦後はあくまでも婦人服で勝負したいという潔の意向の元、

ようやく攻めの一手に転じます。

 

そしてこの洋裁教室の担当者となるのは、なんと紀夫です。

 

彼は人づきあいも苦手ですので苦労すると思われますが、

社運をかけた企画ですから頑張ってほしいものですね。

 

ところでこの洋裁教室にはモデルとなっている実話や人物が存在します。

 

坂東営業部の洋裁教室のモデルや実話とは?

 

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坂東営業部が手がけることになる洋裁教室のモデルとなっているのは、

女性デザイナーの草分けとして知られる服飾家の田中千代と、

田中千代デザインルームです。

 

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(田中千代)

 

田中千代は外務大臣などを歴任した松井慶四郎の娘で、戦前から

デザイナーとして活躍した人物です。

 

当初は鐘紡のデザイナーとして勤務していましたが、坂東営業部の

モデルとなっている佐々木営業部とも縁は深く、昭和12年(1937年)より

佐々木営業部で扱っている子供服のデザインも担当していました。

 

このほかにも、皐会(さつきかい)という洋裁教室を運営し、

ファミリアの創業者のひとりだった田村江津子(良子のモデル)も生徒でした。

 

しかし戦局の悪化により佐々木営業部は消滅して、千代もミシンを

軍部に接収されるなど仕事を続けることができなくなります。

 

しかも戦時中の栄養失調により、左目を失明していました。

 

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失意から引退も考えましたが、教え子たちの応援によって洋裁研究所を

再興することになります。

 

また佐々木営業部を引き継いだ尾上清も千代に手を差し伸べて、

昭和22年(1947年)に佐々木営業部内に田中千代デザインルームを

設けることになります。

 

ドラマでも描かれたファッションショーにも千代は助力しています。

 

翌年には認可を受けて田中千代学園を設立し、洋裁研究所も田中千代服装学園

(後の東京田中短期大学)となります。

 

当時は未曾有の洋裁ブームでしたから、千代も瞬く間に勢いを取り戻していきます。

 

その後は洋裁学校を展開するほか、ファッションショーを主催するなど

日本のファッション業界の中心的な人物にまでなります。

 

ドラマの坂東営業部の洋裁教室は、このように千代が展開した洋裁教室が

モデルとなっています。

 

ドラマの大急百貨店のモデルとなっている阪急百貨店内で教室を設けたという

事実は確認できませんでしたが、千代は戦前に阪急の婦人服の初代デザイナーも

務めていたので、このような流れとなったように思われます。

 

また別の記事でもご紹介しましたが、ファミリアが百貨店に進出した際に、

大量の商品の製作が必要となったのですが、その際に大きな力となったのは

田中千代学園の卒業生たちです。

 

ドラマでは今のところ千代がモデルとなっている人物は登場していませんが、

ファミリアやレナウンとも縁が非常に深い人物です。

 

ドラマでは紀夫が慣れないながらも洋裁教室を切り盛りしていきますので、

注目ですね♪

 

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