べっぴんさん|五十八の復活はあるの?佐々木八十八はどうだった?

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、舞台は戦後の混乱期に入り

食糧の調達すらもままならない時代です。

 

そんな中でも潔やゆりは坂東営業部の復興に向けて動き出しましたし、

すみれも彼女なりに自らの手で生きていく道を歩みはじめました。

 

しかし心配なのは、すみれやゆりの父親の坂東五十八です。

 

周知の通り彼は稀有な商才で坂東営業部を成功させ大きな財を成しましたし、

太平洋戦争中は会社の経営は野上正蔵に任せていましたが、

貴族院議員として精力的に活動していました。

 

ところが戦争によって坂東営業部は消滅したばかりか神戸の屋敷も焼け落ち、

正蔵までもを失ってしまい抜け殻のようになってしまいました。

 

坂東営業部の再興を誓った潔の力強い言葉のお陰で、本格的な隠居は

しなかったものの、以前のような活力は失った気もします。

 

そんな五十八の今後の復活や再びビジネスの世界に戻ることは

あるのでしょうか?

 

モデルとなった佐々木八十八を参考にひも解いてみました。

 

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五十八の復活はあるの?佐々木八十八はどうだった?

 

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佐々木営業部の創業者で、戦前は貴族院議員まで務めた佐々木八十八ですが、

終戦後は目立った活動はしていません

 

同社の再興を尾上清に託したものの、ビジネスの世界に戻って来ることは

ありませんでした。

 

それどころか、昭和20年(1945年)10月に幣原喜重郎内閣が組閣された際には

文部大臣での入閣を要請されていますが、これを固辞して政治の舞台からも

去ることになります。

 

同内閣には後に総理大臣となる吉田茂や芦田均も入閣していましたから、

八十八の政治家としての力量も相当なものがあったのでしょう。

 

なぜこのように彼がビジネスや政治の世界からも身を引いてしまったかといえば、

正確なところは不明です。

 

とは言え、彼は明治7年(1874年)生まれですから、当時は既に71歳

高齢でした。

 

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そのため引退してもおかしくない年齢でしたし、終戦をひとつの大きな区切り

と考えたのでしょう。

 

そのため戦時中から疎開していた生家のあった京都にそのまま滞在して、

ほぼ隠居状態となります。

 

とは言え佐々木営業部を再興した尾上清や自らの事業を起こした娘の

坂野惇子からの相談には度々乗っています。

 

特に惇子に関しては子供服やベビー用品を扱うきっかけとなったのは、

八十八のアドバイスによるものです。

 

またいち早く「レナウン」などの商標を手に入れた彼は、

惇子に商標の大切さを説いています。

 

そして八十八は昭和32年(1957年)919日に、83歳で亡くなっています。

 

戦前は佐々木営業部を日本最大のメリヤス会社に育て上げたものの、

終戦直後に国策により消滅するという波乱万丈の人生でした。

 

とは言え彼は箱入り娘として溺愛した惇子が、戦後に自らの手で

仕事を持つことに賛成し、その成功ぶりを見届けています。

 

また清が再興した佐々木営業部もレナウン商事と改称し、

その頃には完全に軌道に乗っていましたから、生きているうちに

それを目にできたことは彼にとってはこの上ないことのようにも思えます。

 

このような八十八がモデルとなっている坂東五十八も、

恐らくは再びビジネスの世界に戻って来ることはないはずです。

 

しかしすみれや潔に重要なアドバイスを与えて、

彼らの成功に大きな役割を果たすことになるでしょう。

 

「ご意見番」としての彼の活躍にも注目です!

 

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