べっぴんさん|金持ちのお嬢様ばかりだったファミリアの創業者

 

朝ドラ『べっぴんさん』は、すみれたち4人の女性が戦後まもなく

ベビーショップを興して、それをキアリスという大企業に

成長させていく物語です。

 

当時はまだまだ女性が社会進出するのは珍しい時代で、

特にヒロインのすみれは資産家の娘で外で仕事などしたことは

ありませんでした。

 

それにも関わらず手を取り合って協力し、様々な困難を乗り越えて

成功を掴みとりますから見どころも多いはずです。

 

そんなすみれたちのモデルとなっているのが、

坂野惇子らファミリアを起業した4人の女性たちです。

 

そして彼女たちの共通点は、みなお金持ちのお嬢様ばかりだったのです!

 

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(左から惇子、光子、江津子、ミヨ子)

 

コンテンツ

金持ちのお嬢様ばかりだったファミリアの創業者

 

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坂野惇子(坂東すみれのモデル)

 

佐々木営業部(レナウンの前身)の経営者佐々木八十八の令嬢。

 

父は貴族院議員でもあり、神戸の住吉山手にエレベーターや水洗トイレ、

電気風呂、全室に温水暖房などがある豪邸に住む(昭和初期の話です)

 

他にも軽井沢などに別荘を持ち、家の中には舶来品が多数。

 

家には病気用の部屋があるなどかなり過保護に育てられ、

小学校の遠足などには使用人が同行するほど。

 

女学校は「お嬢様学校」で知られた甲南高等女学校に通学し、

その他にも伊東茂平洋裁学校などにも通った。

 

女学校時代には当時は珍しかったスキー旅行などにも行っている。

 

田村江津子(多田良子のモデル)

 

阪東調帯護謨株式会社(現バンドー化学株式会社)の創業者

榎並充造の令嬢。

 

父は神戸商工会議所の会頭を務めるほどのやり手の実業家で、

伝動ベルトの事業で財を成す。

 

現在のバンドー化学株式会社も東証1部上場企業。

 

すみれと同じく甲南高等女学校に通い、著名なデザイナーの

田中千代に個人授業を受けた。

 

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村井ミヨ子(田坂君枝のモデル)

 

日綿実業(現双日)の東京支店長などを務めた中井栄三郎の娘。

 

父の仕事の関係でインドやミャンマーで暮らす。

 

インド在住時には広い庭のある大きな邸宅で、インド人ボーイを雇う

優雅な生活をしている。

 

帰国後はこちらも「お嬢様学校」として知られていたミッション系の

神戸松陰高等女学校に通う。

 

女学校卒業後は稽古事に打ち込み、油絵に関しては小磯良平の個人授業

を受けている。

 

田村光子(一部小野明美や高西悦子のモデル)

 

洋反物卸問屋田村駒商店(現田村駒株式会社)の創業者田村駒治郎の娘。

 

父は貴族院議員として国政にも関与している。

 

弟の寛次郎(小澤勝二のモデル)は江津子と結婚したため、

彼女とは義理の姉妹にあたる。

 

このように村井ミヨ子以外の3人の父親はみな大きな会社を経営しており、

しかもすべて現在まで脈々と続いているのはすごいですね。

 

ミヨ子にしても父親は総合商社の勤めており、当時のエリートサラリーマンです。

 

みなかなりのお金持ちの家庭に育ったお嬢様だったことがわかりますね♪

 

しかもドラマのモデルには彼女たち以外にも資産家が多く、

惇子の夫の坂野通夫(田中紀夫のモデル)の父親は山口銀行(後の三和銀行)

の総理事で10数社の役員を兼務。

 

神戸の豪邸のほか、六甲山にテニスコート付の別荘も所有していました。

 

また尾上清(野上潔のモデル)は後のレナウンの社長となる人物ですが、

高校生の時にサラリーマンの平均月収が60円にも関わらず、

毎月100円の仕送りを受けていました。

 

みなさん超お金持ちの子女や子息ばかりだったのです。

 

ところがみな戦争の影響を受けて、多かれ少なかれそれまでの

豊かな暮らしを奪われることになります。

 

そんな状況にも関わらずみな努力を重ね、再び成功を掴むことになるのですが、

そのあたりもドラマでは描かれることになるはず。

 

このように一見甘やかされて育ったようなお金持ちの令嬢や子息たちが、

戦後にV字復活するあたりにも大きな見どころがあるのです!

 

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