べっぴんさん|さくらのモデルは坂野光子!坂野惇子の娘

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、ヒロインの坂東すみれ(芳根京子)は

田中紀夫(永山絢斗)と結婚して、長女のさくらが生まれます。

 

しかし妊娠中の昭和193月に紀夫に召集令状が届き、

海外の戦地に送られることになってしまいました。

 

その際に紀夫は男の子が生まれたら父親の五十八(生瀬勝久)に

名付け親になってもらい、女の子が生まれたらさくらと名付けてほしいと

言い残します。

 

そして彼が出征して3か月後に生まれたのは女の子でした。

 

そのためすみれは娘にさくらと名付けます。

 

この坂東さくらのモデルは、坂野惇子と通夫夫妻の娘の坂野光子(てるこ)

です。

 

さくらのモデルは坂野光子!坂野惇子の娘

 

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坂野光子は昭和17年(1942年)10月に生まれました。

 

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(右から三番目が光子)

 

しかしその翌年の10月に通夫は海軍の軍属となり、

インドネシアのジャカルタに赴任することになってしまいます。

 

ドラマでは紀夫はさくらの誕生を目にすることもなく戦地へと赴きますが、

リアルでは娘が1歳になる頃までは一緒にいました。

 

その後戦局は悪化して、惇子親子が住んでいた神戸も空襲の標的になる

との噂から、惇子は娘を心配して昭和19年(1944年)7月に

父の八十八が所有する軽井沢の別荘に疎開しました。

 

ところがその別荘は夏用に作ってあり、軽井沢の厳しい冬が光子の健康に

悪影響を及ぼすことを考えて、同年の10月に神戸に戻ってきます。

 

そのため惇子親子は昭和20年(1945年)6月の神戸大空襲の戦禍を

モロに受けることになります。

 

幸い命は取り止めますが、住んでいた岡本の家は焼夷弾で全焼し、

やむなく姉の智恵子の実家の岡山県勝山町に光子とお手伝いの宮本さかえ

とともに疎開することになります。

 

当時光子は2歳半でしたが、戦禍を免れたのは何よりでした♪

 

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その後終戦を迎え、昭和21年(1946年)4月に通夫も帰国して、

尼崎の塚口で新たな生活をすることになります。

 

翌年には通夫は佐々木営業部の系列会社の東京編織に就職し、

惇子はしばらく専業主婦となりますから、その間は親子水入らずの生活でした。

 

昭和23年(1948年)には惇子が起業し、ベビーショップ・モトヤを

開業してからは光子の昼間の世話は同居していた宮本さかえが

担当することになります。

 

その後光子は大学を出てアメリカ留学も経験して、

昭和46年(1971年)には戦前までは関西の有力財閥だった

岡崎家の血筋の岡崎晴彦と結婚することになります。

 

そして夫となった晴彦こそ、後に通夫の跡を継いでファミリアの

二代目社長となる後継者です。

 

このような経緯を辿った光子でしたが、実は惇子は彼女の子育てを通じて

起業のヒントを得ています。

 

光子が生まれた後、隣人だったイギリス人のオーツ夫人の影響もあって

坂野夫妻は西洋流の子育てをすることを決めます。

 

そこでベビーナースの大ヶ瀬久子(小野明美のモデル)から西洋流の育児学を

学ぶことになるのですが、これらの合理的な手法は後にファミリアの製品を

開発する際に大いに役立つことになるのです。

 

まさに光子が生まれていなければ、現在のファミリアもなかったかもしれない

でしょう♪

 

ドラマではすみれの娘のさくらはどのような子に育つのでしょうか?

 

このあたりも楽しみですね~

 

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