べっぴんさん|大急百貨店のモデルは阪急百貨店!商機到来!

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、すみれたちの会社キリアスの製品を

なんと大手デパートの大急百貨店(だいきゅう)が取り扱うことになりました。

 

社長の大島保(伊武雅刀)とその仲介をした野上潔のおかげですが、

これはキリアスにとって言うまでもなく大きな追い風となります。

 

その後大急とタッグを組んだキリアスは大いに成長することになりますから、

まさにこれは大きな商機の到来となります。

 

そしてこれらのエピソードは史実が下敷きがあり、

大急百貨店のモデルは阪急百貨店うめだ本店です。

 

坂野惇子らが立ち上げたファミリアは阪急と組むことで大きく成長しましたし、

逆に言えばこの百貨店がなければ、現在のファミリアはなかったと言っても

過言ではありません。

 

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大急百貨店のモデルは阪急百貨店!商機到来!

 

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両社が組むことになったきっかけは、昭和25年(1950年)に

前身のベビーショップ・モトヤを株式会社に改組して、

ファミリアが誕生した頃です。

 

モトヤ靴店に居候していた同社でしたが、わずか1年で独立の店舗を

構えるまでになりました。

 

場所は神戸・三宮の佐々木営業部のサービスステーションの跡地で、

口利きは当時の同社の社長だった尾上清(野上潔のモデル)です。

 

そこに売り場面積15坪の2階建ての建物を建てて、同年の420日に

ファミリアの1号店「ベビーショップ・ファミリア」として営業を開始しました。

 

オープンからしばらくしてやって来たのが、当時の阪急百貨店の社長だった

清水雅(まさし)でした。

 

清水は当時三宮や元町にある店舗の視察をたびたび行っていましたが、

妻のミナとふらりと入った店がファミリアだったのです。

 

彼は店内のベビー用品や子供向けの商品に一目ぼれして、

「売れる」と確信します。

 

そのため清水は当時の部下で後に社長となる鳥居正一郎に、

ファミリアの阪急百貨店への誘致を命じます。

 

しかもここで凄い偶然が起こります。

 

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当時の佐々木営業部で阪急担当だったのは惇子の夫の通夫で、

彼は大学の先輩でもあった鳥居とは懇意にしていた仲だったのです。

 

このようにいくつもの偶然が重なって創業から1年余りの同社は、

有名デパートに商品が置けるというあり得ない奇跡が起こるのです。

 

にも関わらず、惇子は阪急側に信じられない要求をおこなっています。

 

それはお墨付き商品の証となる「特選マーク」の辞退です。

 

それを付けるにはファミリアの名前を取り除かなければならなかったので、

キッパリと断ります。

 

それまで特選マークを辞退した会社はなかったので、交渉を担当した

鳥居と宣伝次長の土岐国彦はひどく驚きました。

 

出店自体が奇跡的にも関わらず、特選マークを断るという半ば暴挙のような

行動に出た惇子たちですが、このあたりは商売の素人で我が道を行く

良家の子女らしい行動ですね♪

 

結局両社は歩み寄って、製品には従来通りファミリアのマークを入れて、

売り場には「阪急ファミリアグループ」という表示をすることでまとまりました。

 

その他にも、百貨店側の買い上げによる販売を断って、

当時珍しかったテナント形式での販売方法を採用するなど、

惇子たちは様々な要求をしています。

 

デパートと出入り業者との力関係は、ガリバーとアリンコのようなもの

ですから、当時の商慣習では非常識極まりないこれら一連の惇子たちの行動は

開いた口がふさがりませんね?

 

またそれにも関わらず、それらを呑んだ鳥居や清水の度量もたいしたものです。

 

特に当時の社長だった清水に関しては、ファミリアの製品のよさを見抜いた

慧眼も光ります。

 

その後は惇子たちも清水らの熱意を切に感じ取り、

両者の結びつきは強固になって現在に至ります。

 

このように阪急百貨店がなければ現在のファミリアもなかったはず。

 

ドラマでは大急百貨店が、すみれたちのキリアスにとっては

かけがいのない役割を果たしそうですね♪

 

 

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