わろてんか|風鳥亭の取り壊し閉鎖は実話!北村笑店の寄席はどうなる?
朝ドラ『わろてんか』では、遂に北村商店の風鳥亭が取り壊し閉鎖となります。
大阪・天満の風鳥亭からスタートした北村商店ですが、オチャラケ派と伝統派の
芸人たちを吸収した後に、千日前に南地風鳥亭を開業。
ドラマの舞台もいつの間にか一回りデラックスな南地風鳥亭に移っていました。
そんな南地風鳥亭では安来節乙女組にはじまり、キースとアサリのしゃべくり漫才、
リリコアンドシローのしゃべらん漫才、隼也とつばきの恋など、様々なエピソードも描かれてきました。
そんな思い入れのある南地風鳥亭が取り壊されて、閉鎖となります。
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風鳥亭の取り壊し閉鎖は実話!北村笑店の寄席はどうなる?
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ドラマで南地風鳥亭が取り壊し、閉鎖となるのは昭和19年(1944年)の頃です。
この頃は太平洋戦争の戦局は悪化の一途を辿り、いよいよ大阪もアメリカ軍による
空襲の危機にさらされることになります。
そのため空襲による火災の被害を未然に防ぐために防火地帯を作る「建物疎開」
がおこなわれるのですが、南地風鳥亭がある一帯が指定されて、取り壊される
ことになってしまいます。
この寄席を開業するまでの藤吉の苦労を知っているリリコらの芸人は猛反発。
風太も取り壊しの撤回に尽力しますが、やはり建物疎開の決定は覆らずに、
南地風鳥亭の運命が決まってしまいます。
また一時はおよそ40軒もの寄席を所有してた北村商店ですが、他の寄席も
取り壊しや芸人の出征などによって閉鎖され、その頃には天満風鳥亭など
わずか4軒となってしまいます。
大阪にお笑い王国を築いた北村商店ですが、いよいよ崩壊に向かっていくことに
なりますね。
ところで南地風鳥亭のモデルとなった南地花月は、旧金沢亭がルーツの名門の寄席です。
(南地花月)
大正の初めごろに吉本興業部が買収して、大正10年(1921年)に初代桂春団治が
登壇するようになると、連日盛況の人気の寄席となっていました。
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ところがドラマと同じく昭和19年に建物疎開の指定を受けて、その後に取り壊されています。
ちなみに北村笑店のルーツとなった天満風鳥亭のモデルの天満花月
(旧第二 文藝館)は、昭和16年(1941年)に出征による芸人不足のために、
既に閉館されていました。
ドラマの風鳥亭も史実の花月と同様の運命を辿ることになります。
藤吉やてんの奮闘で大いに盛り上がった風鳥亭ですが、いよいよその見納めを
迎える日がやって来るようです。
ちょっと残念ですが、このあたりは致し方ないところですね…
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