吉本せいには愛人がいた!信じられない結末とは?

 

朝ドラ『わろてんか』のヒロインてんのモデルとなっているのは、

吉本興業の創設者のひとり吉本せいです。

 

ともに吉本興業部を立ち上げた夫の泰三があまり仕事熱心ではなかった

ことから、せいは寄席の経営などを一手に引き受けてその商才を発揮していきました。

 

そして大阪の演芸界に吉本王国を築き上げていくのですが、

泰三は大正13年(1924年)に37歳で脳溢血で突然死。

 

当時せいは34歳の若さでしたが、以降は未亡人となって再婚もしませんでした。

 

以降は実弟の林正之助と弘高を右腕として、さらなる吉本王国の成長を

図ったせいでしたが、そんな彼女には「愛人」とされた非常に親密な人物がいました。

 

 

吉本せいには愛人がいた!信じられない結末とは?

 

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吉本せいの愛人とされた人物は、実業家で大阪府議会議長も務めていた

辻阪信次郎です。

 

辻阪は明治18年(1885年)生まれで、せいよりも4歳年上。

 

彼は実業家・政治家でありながら落語などの芸能に精通した人物で、

興行界にも太いパイプを持っており、せいとはかなり前からの知り合いでした。

 

そして泰三の死後は、辻阪は吉本興業の実質上の「顧問格」とされており、

アメリカからマーカスショウを招聘した際にもビザの件などで吉本に協力しています。

 

辻阪はせいとも親しい間柄で確たる証拠はありませんが、辻阪とせいが

愛人関係だったとする見解もあります。

 

また当時はせいと辻阪の交際の噂もあったほどで、少なくともふたりはかなり親密な仲でした。

 

そんな辻阪が引き起こしたのが、「辻阪事件」という興行界を騒然とさせた事件です。

 

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昭和10年(1935年)113日、大阪府の税務署で脱税疑獄が発覚して拡大。

 

キャバレーやカフェーの経営者や支配人や料亭の女将などにも

捜査の手が及び、後にそれは興行界にも飛び火します。

 

1116日には辻阪が逮捕され、19日には吉本興業部の税金係主任と吉本せい

が当局に召喚されることになります。

 

この税金係主任は辻阪のあっせんで吉本興業部に入社しており、

興行税や所得税の査定に関して辻坂に相当額の金を贈って

手心を加えてもらうとともに、辻阪を通じて税務署職員も買収していたという疑惑でした。

 

気丈で気が強いことで知られたせいですが、この際には泣きながら

取り調べを受けており、当局にかなり厳しい追及をされたようです。

 

と同時に事件は拡大し、せいの弟の正之助も取り調べを受けることになり、

さらに松竹本社や白井松次郎会長も家宅捜索がおこなわれました。

 

ところがせいは事件の核心については一切を語らず、その年の年末には

病気のため勾留停止となって入院しています。

 

さらに昭和11123日に辻阪が監房内で首つり自殺したことから

(享年52歳)、事件はあっけない幕引きとなります。

 

結局吉本興業部やせいらは贈賄罪で立件されずに、軽微な罪のみで済んでいます。

 

一方で吉本よりも辻阪との関係が希薄だったにも関わらず、

松竹はマスコミから激しいバッシングを受けており、

後の両社の抗争の伏線になったとの指摘もあります。

 

吉本側と辻阪の関係に鑑みれば、驚くほど吉本のダメージは軽微ですが、

これについては吉本側の裏工作も疑われています。

 

辻阪の死により真相は神のみぞ知るとなってしまいましたが、

この事件は興行界の汚点を世に知らしめることになりました。

 

またせいはこの事件でかなり大きな精神的なダメージを受けたようで、

昭和13年(1938年)に株式会社になった際に、せいは会社の実権を

正之助に渡しますが、その遠因になったとも言われています。

 

それだけせいと辻阪が親しかったともいえますね~

 

朝ドラでは決して描かれることはないでしょうが、吉本せいにはこのような裏話もあったのです。

 

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