わろてんか|風太(濱田岳)のモデルは林正之助!凄い人物

 

朝ドラ『わろてんか』では、ヒロイン藤岡てん(葵わかな)の

従兄として武井風太(濱田岳)が登場します。

 

従兄と言っても幼い時にてんの実家の藤岡屋に引き取られ、

兄弟同然に育てられ、お店でも使用人としても働いています。

 

年齢はてんよりも上ですが、てんは風太を弟のように思っており、

常に年下扱いされているというユニークな関係です。

 

しかし風太のてんへの忠誠心は相当で、彼女が結婚しても

身を粉にして働くことをいとわずに、後にてんがはじめる事業にも

参加して大切な戦力となるようです。

 

そんな風太のモデルとなっているのが、吉本せいの実弟の

林正之助(しょうのすけ)です。

 

 

武井風太(濱田岳)のモデルは林正之助!すごい人だった

 

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林正之助は林家のきょうだいの6番目で、

姉のせいとは10歳年下でした。

 

 

高等小学校を卒業しましたが、北野中学校(現北野高校)の

受験に失敗して明石にあった親戚の呉服屋へ丁稚奉公に出ています。

 

しかし当時は田舎だった明石に馴染めずに、呉服屋を2年ほどで

辞めてブラブラしていました。

 

18歳だった大正6年(1917年)に、せいに声を掛けられて

吉本興業部に入社。

 

当初は雑用係として寄席で下足番や木戸番、小屋の装飾係や

芸人の監視役をしています。

 

19歳の時に総監督に昇進し、大正13年(1924年)にせいの夫の

泰三が急逝すると、以降はせいの右腕として実力を発揮します。

 

正之助が特に力を発揮したのは、芸人の発掘です。

 

安来節が流行した大正11年(1922年)には本場の出雲に自ら乗り込んで、

人気の出そうな娘の踊り子や名人と言われる男性をヘッドハンティング

して大阪や東京吉本に送り込んで、安来節を新たな吉本の名物にして

います。

 

そして彼の最大の功績は漫才をポピュラーにしたことです。

 

今ではお笑いの代表ともいえる漫才ですが、明治時代までは

非常に評価が低く、演目と演目のつなぎ程度と考えられていました。

 

しかし正之助は特に形式もなく自由で、落語のような修業も必要ない

漫才の可能性を評価し、落語にとって代わる演芸と考えました。

 

そのため知名度は低くても伸びると読んだ漫才師を多くヘッドハント

しており、横山エンタツらもこの時期にスカウトしています。

 

まさに正之助の読みは当たって、漫才は吉本興業部の看板の演芸

となっていきます。

 

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また正之助は気性が荒かったこともあり、ヤクザなどとのトラブルも

一手に引き受けていたと言われています。

 

さらには昭和2年(1927年)に松竹が吉本の芸人を引き抜いた際には、

松竹の貴賓室に乗り込んで、当時の白井松竹社長に対し呼び捨てで、

「お前の命をとる」とも言い放っています。

 

当時正之助は28歳で白井は50代で、吉本と松竹は比較にならないほどの

力の差がありましたが(松竹のほうが遥かに大きい)、正之助の

気迫に押された白井から「吉本の芸人は引き抜かない」との

一筆をとっています(後に松竹はさらなる引き抜きに出る)

 

このように知力だけではなく、腕力でも吉本興業部をけん引した

正之助ですが、昭和23年(1948年)に吉本興業が株式会社に

組織を改編した際には初代社長に就任しています。

 

豪快な性格から「ライオン」とあだ名され、山口組の田岡一雄組長

と組んでレコード会社の乗っ取りを図って逮捕されるなど、

正之助に関しては晩年に至るまで話題に事欠きませんでした。

 

このような正之助がモデルとなっているドラマの風太ですが、

どのように描かれるのでしょうか?

 

正之助はかなりダーティーな面もあったので、このあたりは

修正されると思われますが、キャストの濱田さんの演技にも

注目ですね♪ 

 

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