とと姉ちゃん|暮しの手帖に掲載された花森安治の遺言とは?

 

 朝ドラ『とと姉ちゃん』では、花山伊佐次の体調が

日に日に悪くなっていきます。

 

心臓の持病からの軽い発作も頻発するようになりますし、

入退院を繰り返すことになってしまいました。

 

そして残念ながら花山は、モデルとなった花森安治がそうであったように、

現役の編集者のまま逝ってしまうことになりそうです。

 

「スタイルブック」時代から33年にわたり編集長を務めた花森でしたが、

その死に際しては「暮しの手帖」のあとがき(編集後記)で

遺言が掲載されました。

 

そちらをご紹介いたします。

 

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暮しの手帖に掲載された花森安治の遺言とは?

 

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花森安治が亡くなったのは、昭和53年(1978年)114日です。

 

その9年前に心筋梗塞で倒れてからは彼の心臓は弱り続け、

亡くなる前年あたりからは満足に階段も登れないなど、

誰の目から見ても体調不良は明らかでした。

 

それにも関わらず編集長という激務を続けますが、

前年の11月末に体調を崩し入院することになりました。

 

クリスマスと正月を自宅で過ごしたいと申し出て退院の許可が出ましたが、

なんと花森は年明け早々に出社して、1月下旬に発売予定だった

2世紀52号の表紙の絵や原稿を仕上げます。

 

何とか12日までにすべて仕上がりますが、もはや原稿に関しては

自力で書く力がなく、口述筆記で仕上げました。

 

さすがに疲れたらしく翌日は会社を休むことになりましたが、

その日の深夜(日付は14日)に心筋梗塞で帰らぬ人になってしまいます

(享年66歳)。

 

「暮しの手帖」にとっては言うまでもなく彼は大黒柱で、

花森安治=暮しの手帖と言っても言い過ぎではないほどでした。

 

そのため52号のあとがき(編集後記)には、彼が生前に書いた短文を

引用して終わっています。

 

「まだ風は肌をさし、道からは冷気がひしひしと立ち上がる、あきらかに冬なのに、空気のどこかに、よくよく気をつけると、ほんのかすかな、甘い気配がふっとかすめるような、春は待つこころにときめきがある。

 

青春は、待たずにいきなりやってきて胸をしめつけ、わびしく、苦しく、さわがしく、気がつけば、もう一気に過ぎ去っていて、遠ざかる年月のながさだけ、悔いと羨みを残していく」

 

(暮しの手帖2世紀52号から引用)

 

また花森は亡くなる2週間ほど前の1228日に大橋鎭子に対し、

自分が死んだ時の号のあとがきに遺言を書いてほしいと申し出ています。

 

最初は冗談だと思った鎭子は、彼があまりにも真剣だったことから、

それをメモしました。

 

それは読者に向けたものでしたが、2世紀53号に掲載されました。

 

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「…読者のみなさま、本当にながいこと、暮しの手帖をお愛読下さいまして、ありがとうございます。昭和二十三年に創刊したときは一万部でした、あれから三十年、部数が九十万になりました。これは、みなさまが一冊、一冊、買ってくださったからこそです。

 

広告がないので、ほんとに一冊、一冊買っていただかなかったら、とても今日までつづけてこられませんでした。そして私の理想の雑誌もつくれなかったと思います。力いっぱい雑誌を作らせていただき、ほんとうに有難うございました」

 

(中略)

 

「それにあまえて、お願いがあります。いままで暮しの手帖をよんだことのないひと、一人に、あなたが暮しの手帖を紹介してくださって、一人だけ、新しい読者をふやしていただきたい。これが僕の最後のお願いです…」

 

(暮しの手帖2世紀53号から引用)

 

このように花森安治の遺言はこれまで愛読してくれた読者への感謝の気持ちと、

同誌を勧めてほしい旨のお願いとなっています。

 

※追記

ドラマでは上記の遺言に花森安治の著書「1銭五厘の旗」のテイストを

加味していました

 

一時は90万部を超えて100万部に迫る勢いだった「暮しの手帖」でしたが、

その後は「anan」や「non-no」などの新しいタイプの雑誌に押されて

部数を減らすことになります。

 

花森が亡くなったのは同誌の全盛期でしたが、恐らく彼はその後の他誌の

台頭や「暮しの手帖」の部数減も予期していたように思えます。

 

そのため一人でも多くの読者を確保するために、

最後のお願いを遺言でおこなっています。

 

33年間もの長きにわたって編集長を務めた彼が、

この雑誌をいかに愛していたのかわかりますよね?

 

そして最後までその行く末を心配しながら逝ってしまいました。

 

「死ぬ瞬間まで編集者でありたい」と述べた名編集長の花森安治の

最後の文章は、読者への遺言であったのです。

 

花森安治

 

暮しの手帖

 

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4 Responses to “とと姉ちゃん|暮しの手帖に掲載された花森安治の遺言とは?”

  1. ラブターン! より:

    「死ぬ瞬間まで編集者でありたい。」という花山さんの強い思い、遺言に込められてました。
    花山さんの途切れ途切れでも必死に話す姿、とと姉ちゃんの両目から止まらない涙、私の涙を誘いました。

    今週のテーマは「花山、常子に礼を言う」ですが、これは、花山があなたの暮らしの愛読者を増やすことで、今までの恩返しにしたかったのではないでしょうか。私はそう考えます。

    ととととと姉ちゃんのお別れ以来、久しぶりに号泣しました。本当に感動しました。

    それますが、二段落目のととととと姉ちゃん、「と」だらけですね。「とと」と「とと姉ちゃん」という意味です。

    長文&乱文すみません。

    • rekidora より:

      ラブターン!様

      花山の最後は感動的でしたね!
      おっしゃる通り、彼の遺言に関しては鋭い解釈ですね。
      文字通りのお礼と花山流のお礼の2つの意味があったのですね!

      「とと」と「とと姉ちゃん」は何気にウケましたw

      • ラブターン! より:

        rekidora様、返信ありがとうございます。

        花山さんの遺言は私の解釈ですので、歴ドラさんの解釈もあれば教えて下さいね。

        最後の話、ウケてくださりありがたく思います。

        長文&乱文すみません。

        • rekidora より:

          ラブターン!様

          こちらこそご拝読とコメントありがとうございます!

          花山の遺言に関してはまさに同じように思いました。
          記事中にモデルとなった花森安治の遺言について述べましたが、

          恐らく彼は「an・an」や「non-no」などの新しいタイプの雑誌の台頭
          と暮しの手帖の部数減は予想していたと思われます。

          そのために自分の死後に一人でも多くの読者を残すために遺言を掲載した
          と思います。

          このあたりのテイストをそのままドラマでは使用したようにも思えました。

          確かにドラマではそのような状況はなかったのですが、
          やはり苦労して「あなたの暮し」を育て上げた彼のことですから、
          同誌の今後を思いやって遺言を残したのでしょうw

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