わろてんか|てんの勲章受章は実話!吉本せいももらっていた

 

朝ドラ『わろてんか』では、てんが勲章を受章することになります。

 

受賞の理由は慰問団を派遣して現地の兵隊たちを励ましてきたことやこれまでにおこなってきた

寄付活動です。

 

てんも受賞には前向きで、これまで苦楽をともにしてきた風太も感慨深いようです。

 

大阪中のマスコミもこれを書き立てますし、北村笑店にも大きな追い風となるはずです。

 

ところでこのエピソードは実話で、モデルの吉本せいも勲章を受章していました。

 

 

てんの勲章受章は実話!吉本せいももらっていた

 

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ドラマでてんが勲章を受章するのは昭和14年(1939年)のことですが、吉本せいが

紫綬褒章を受章したのは昭和3年(1928年)です。

 

吉本興業部は寄席のM&Aやチェーン化で大阪に一大演芸王国を築きましたが、その傍らで

せいは社会奉仕活動に熱心で、日本赤十字会や愛国婦人会などに多額の寄付をしてきました。

 

また国内の養老院や満州の駐屯軍にも芸人の慰問団を送り込んだり、各地に無縁仏の石碑を

建立するなどの活動もおこなってきました。

 

それらの活動が認められて、紫綬褒章受章の運びとなったのです。

 

大正期に大阪の演芸界の頂点に立った吉本興業部ですが、昭和の時代に入ると吉本せいは

頻繁に表舞台に出てくるようになります。

 

他の慈善団体に多額の寄付をしたり、日露戦争の英雄の東郷平八郎海軍元帥が癌を患って

療養生活に入った際も5万円もの大金を見舞金として贈っています。

 

どうやらこの頃のせいは「吉本の顔」として、同社のイメージアップを意識した

パフォーマンスを繰り返していたようです。

 

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当時の吉本はまさに黄金時代を迎えていましたが、やはり生き馬の目を抜くような興行界です。

 

ヤクザとの黒い関係や松竹との抗争など様々なブラックな面も抱えてしましたし、当時から

興行界は胡散臭いイメージがつきまとっていましたから、せいは少しでも吉本のイメージを

よくするためにこのようなパフォーマンスを行っていたと思われます。

 

他にも吉本興業部は災害が起こった際にはいち早く社員を派遣して救助活動をおこなったり

していますが、その際には社員たちは必ずと言っていいくらい「吉本興業」の法被を着ています。

 

もちろんこれらは悪いことではありませんし、実際に社会に貢献していますが、とにかく

当時の吉本興業部は負のイメージを消すことに必死だったことは伝わりますね。

 

その甲斐あって、吉本せいには「愛国者」というイメージができて、昭和9年(1934年)には

大阪府より「節婦」として表彰されています。

 

ドラマのてんもせいのように勲章を受章することになりますが、実話のその裏にはせいや

吉本興業部の涙ぐましいイメージアップ戦略があったのです。

 

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