わろてんか|風太のモデル林正之助が逮捕された乗っ取り事件とは?

 

朝ドラ『わろてんか』の北村笑店の専務として活躍する風太のモデルとなっているのは、

吉本興業の元会長・社長の林正之助(しょうのすけ)です。

 

彼は稀代の興行師として多くの人材を発掘し、吉本興業の成長にも大きく貢献した

中興の祖でもあります。

 

しかし当初から暴力団の山口組と親密な関係を持つなど、裏の顔がある人物としても知られていました。

 

そんな正之助が引き起こした大きな事件は、昭和431月の「レコード会社乗っ取り事件」です。

 

これによって正之助は兵庫県警に逮捕されてしまっていますが、どのような事件だったのでしょうか?

 

ドラマで決して描かれることはありませんが、ご紹介します。

 

 

(林正之助)

 

風太のモデル林正之助が逮捕された乗っ取り事件とは?

 

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林正之助が乗っ取りを画策したのは、日本マーキュリーレコードです。

 

同社の前身は大正時代から続くタイヘイレコードで、昭和27年(1952年)にアメリカの

マーキュリーレコードと音源の独占契約を結びます。

 

そしてジャズブームに乗って洋楽盤が大いに売れて、昭和28年(1953年)に社名を

日本マーキュリー株式会社に改めています。

 

また新人として発掘した野村雪子や西田佐知子、藤島桓夫らも売れたので昭和29年(1954年)には

全盛期を迎えることになります。

 

 

ところが昭和30年(1955年)に入ると各レコード会社間の引抜合戦が激化して、

大手資本をバックに持たない日本マーキュリーは草刈り場となってしまいます。

 

さらに翌年には独占契約の期間満了に伴って、アメリカのマーキュリーレコードの販売権を

キングレコードに奪われてしまいます。

 

そのため日本マーキュリーは昭和35年(1960年)には休業状態に陥ってしまいます。

 

そこに目をつけたのが吉本興業部の林正之助で、昭和40年代前半までに日本マーキュリーの

生産設備の半分を押さえてしまいます。

 

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このあたりの詳細は不明ですが、正之助は山口組の田岡一雄組長らの手を借りて、

工場の地上権や借地権を地価の20分の1という安価で取得しています。

 

その後はレコードのプレス専業のヤンマー音響と名を改めますが(ヤンマー農機とは無関係)、

日本マーキュリーの残党も営業を継続するなど、社内は二つに割れて内紛状態となっていました。

 

そのため正之助は会社を完全に手中に収めるために、日本マーキュリーの社長らに引き渡しを迫ります。

 

その際に「わしが親分に電話したら、山口組の兵隊を300人は呼べるんや。

血の雨を降らせたるぞ」と言い放ち、そのために恐喝容疑で逮捕されています。

 

正之助は実刑は免れますが、この事件により興行界と暴力団の癒着が世間にも明らかになっています。

 

また以降も正之助は平成3年(1991年)に92歳で亡くなるまで、吉本興業の絶対的な

権力者として君臨したことから、このレコード会社乗っ取り事件は吉本ではタブー扱いにされました。

 

そのため吉本の社史などにもこの事件は掲載されておらず、詳細なども不明となっています。

 

ドラマではヒロインのてんを支えて北村笑店を盛り上げる風太ですが、モデルとなった人物には

このような「暗部」もあったのです。

 

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2 Responses to “わろてんか|風太のモデル林正之助が逮捕された乗っ取り事件とは?”

  1. yamada3 より:

    林正之助の写真が違うぞ。
    それは林裕章だ。
    林正之助は大正時代なのにそんな鮮明な写真の訳ない。
    上のサイトのおっさんや。

    • rekidora より:

      yamada3様

      はじめまして。
      わざわざコメントありがとうございました。
      おっしゃる通り、写真は林裕章でした…

      確かに60代くらいの写真だとしても、昭和30年代ですよね~
      鮮やかすぎまよね。

      ご指摘及びご拝読感謝いたします。
      ありがとうございました。

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