わろてんか|マーチンショーのモデルはマーカスショー!吉本が招聘

 

朝ドラ『わろてんか』では、てんと藤吉の息子の隼也が本場アメリカのミュージカル

「マーチンショー」の興行権を獲得するために奔走します。

 

しかし隼也は騙されて、改めて伊能栞がマーチンショーを招集することになります。

 

なにやら怪しげなマーチンショーですが、当時はミュージカルは斬新なコンテンツだった

ことから、伊能商会や北村笑店はその導入に躍起になるようです。

 

そんなマーチンショーのモデルとなっているのが、実際に吉本興業部がアメリカから招集した

「マーカスショウ」(マーカスショー)です。

 

 

 

 

マーチンショーのモデルはマーカスショウ!吉本が招聘

 

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吉本興業部がマーカスショウを招集したのは昭和9年(1934年)のことです。

 

その背景には、東京の浅草でおこっていたレビューのブームがありました。

 

当時の東京ではレビューや軽演劇がブームとなっており、その代表格が松竹が抱える

榎本健一(エノケン)の一座でした。

 

吉本せいのもうひとりの弟で東京吉本の最高責任者だった林弘高も、レビューを編成して

松竹に対抗しましたが太刀打ちできませんでした。

 

その頃に持ち上がったのが、マーカスショウの企画です。

 

マーカスショウはアメリカのレビューで、20人ほどの編成で全米各地を巡業していました。

 

レビューとしては二流どころでヌードダンサーなども在籍していました。

 

そんなマーカスショウですが、吉本東京の弘高は当時の陸軍大臣の桂太郎の妾のお鯉経由で

パンフレットを入手。

 

弘高はマーカスショウのパンフレットを見るや、「これは当たる」と直感しました。

 

実兄の林正之助に招集を直訴したところ大激怒されましたが、結局は1万円もの大金をはたいて

マーカスショウを招聘することが決まります。

 

一方当時のアメリカではレビューはミュージカルの台頭に押されており、

興行成績がじり貧になっていたマーカスショウ側も来日は「渡りに船」だったようです。

 

ショウの来日には様々な問題もあったようですが、後に吉本せいや林正之助が逮捕されること

になる「辻阪事件」の首謀者の辻阪信次郎もビザの発給などに尽力しています。

 

マーカスショウが来日する頃にはタップダンサーや踊り子などが加わって60人ほどの編成に

なっていましたが、実情としてはレビューというよりも様々な芸人の「寄せ集め」だったようです。

 

また後に俳優や歌手として成功する無名時代のダニー・ケイも、メンバーに加わっていました。

 

そんなマーカスショウでしたが、結果的には「大当たり」となります。

 

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昭和9年の3月から有楽町の日本劇場で公演がはじまると、歌あり、踊りあり、タップダンス

あり、そして銀粉のヌードショーありの舞台は目新しさもあって、連日大盛況となります。

 

そのため吉本興業部は松竹と手を組んで、大阪の歌舞伎座で開催することになりましたが、

こちらも大成功に終わります。

 

 

映画が50銭の時代に23円もしたマーカスショウですが、この大成功は後のレビューやオペラ、

ミュージカルなど、日本の興行界に大きな影響を与えたと言われています。

 

また吉本興業部もマーカスショウの成功に倣って、昭和10年(1935年)から「吉本ショウ」を

開催し、その中から「あきれたぼういず」などのスターも飛び出しています。

 

このようにマーカスショウが与えたインパクトは非常に大きいものでした。

 

ドラマでもレビューではなく、ミュージカルの「マーチンショー」となりますが、

どのように描かれるかも楽しみですね♪

 

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