わろてんか|伊能栞は何をやって成功したの?モデルから考えてみた

 

朝ドラ『わろてんか』では、舞台が大正10年(1921年)に移ると

北村笑店は大会社となっていました。

 

このあたりは寺ギンのオチャラケ派や文鳥の伝統派を傘下に加えていましたから、

成長の兆しなどもわかりました。

 

しかし不思議だったのは同じ頃、伊能栞が事業に成功して日本の娯楽界を

けん引するほどの存在になっていたことです。

 

その内容は大阪郊外の宅地開発と活動写真の事業です。

 

かつて伊能は義兄との跡目争いに巻き込まれ、社長を務めていた貿易会社を

取り上げられてしまいました。

 

自ら育てた伊能活動写真は残りましたが、「宅地開発」などは初耳で

戸惑いを隠せません。

 

このあたりをモデルとなっている小林一三から考察してみました。

 

 

伊能栞は何をやって成功したの?モデルから考えてみた

 

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まず伊能栞がおこなった大阪郊外の宅地開発ですが、この点につきましては

まさに小林一三のトピックスとでも言うべき事柄です。

 

会社員としては今ひとつパッとしなかった小林ですが、阪急電鉄の前身の

箕面有馬電気軌道の実権を握るとその商才が開花します。

 

まず彼がおこなったのは沿線の土地を買収して、大規模な宅地開発

おこなっています。

 

その後の「ニュータウン構想」など電鉄会社が沿線の宅地開発をおこなって、

付加価値を高める手法は昭和期には当たり前のようにおこなわれています。

 

しかし小林がそれをおこなったのは明治43年(1910年)からでした。

 

まさにこのあたりの目の付け所は素晴らしく、後の各電鉄会社もこれを

模範としています。

 

さらに小林はその際には宅地をサラリーマンでも購入できるように、

当時は非常に珍しかった割賦販売による分譲販売を導入し、

結果として大成功を収めています。

 

ドラマの伊能栞の宅地開発とは、小林の宝塚市などの阪急電鉄沿線の

宅地開発がモデルになっています。

 

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次に伊能の活動写真ですが、当時の小林率いる阪急電鉄グループは

まだ東宝を立ち上げていません。

 

阪急グループが本格的に娯楽産業に進出するのは昭和7年(1932年)に

東京宝塚劇場を開業したあたりで、東宝映画の設立も昭和12年(1937年)

のことです。

 

とは言え、阪急電鉄沿線の娯楽施設の拡充は図っており、

明治44年(1911年)に後の宝塚ファミリーランドの前身となる宝塚新温泉を開業。

 

 

大正2年(1913年)には施設内に劇場を建設し、後の宝塚歌劇団の前身となる

宝塚唱歌隊も結成しています。

 

 

さらに大正13年(1924年)には4000人収容の宝塚大劇場を建築し、

大規模遊園地だったルナパークもこの頃に出来上がっています。

 

 

このように当時は宝塚などの阪急沿線に限られますが、小林率いる

阪急グループは娯楽産業にも参入しています。

 

昭和初期に本格的に興行界に参入すると、その資金力に物を言わせ、

瞬く間に東宝は松竹や吉本興業部と並び三大興行会社となっていきます。

 

ドラマでは伊能は大正10年に日本の娯楽界をけん引している存在と

描かれましたが、これはモデルの小林からしてみればちょっと

フライング気味に思えます。

 

とは言え東宝と吉本の関係に鑑みれば、今後の伊能は北村笑店と手を組んで

ビジネスを手掛けることも予想され、このあたりにも期待ですね♪

 

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