わろてんか|安来節の大流行とスカウトは実話!

 

朝ドラ『わろてんか』では、藤吉の北村笑店はオチャラケ派と伝統派の

芸人たちを傘下に入れたことで大規模化。

 

今や大阪演芸界でもトップの会社となりますし、経営する寄席の数も15軒に

及ぶほどです。

 

いつのまにか大会社となった北村笑店ですが、伊能栞のアドバイスによって

新たな演目を探しはじめます。

 

落語が中心の旧来の寄席の演目ではそのうち飽きられてしまうと考えて、

番頭となった風太を中心に新たに寄席の目玉となる演目を探しはじめます。

 

そして風太は島根県の民謡である「安来節(やすぎぶし)」に注目して、

スカウトに向かうことになりますが、このあたりのエピソードは実話に基づくものです。

 

 

安来節の大流行とスカウトは実話!

 

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ドラマの北村笑店のモデルの吉本興業が安来節に注目したのは、

大正11年(1922年)のことです。

 

当時の吉本は上方の興行界を支配するほどの存在になっていましたが、

当時の興行の目玉だった上方落語の凋落に危機感を抱いていました。

 

大正デモクラシーと呼ばれるほど、当時は文化や生活水準が大きく変化

しましたが、上方落語は相も変らず江戸時代の噺を演じるなど徐々に

庶民生活との乖離が大きくなっていき人気にも陰りが生じていたからです。

 

また数年前から東京や神戸などの端席で安来節が好評を得ていることを、

吉本泰三(藤吉のモデル)は知ることになります。

 

安来節はいわゆる「ドジョウすくい」ですが、女性の踊り子のふくらはぎ

などがチラリと見えるエロチシズムや男性の踊り子の滑稽な仕草は笑いを

誘ったことから、当時としてはけっこう斬新な演目だったのです。

 

そこで泰三はせいの実弟の林正之助(風太のモデル)を安来節の本場の

島根県の出雲に派遣して、新人の発掘を命じました。

 

正之助は泰三の期待に応えて、名人クラスの男性や声や容姿のよい女性の

踊り子などをスカウトしてきました。

 

そして花月の舞台でも安来節の公演をはじめたところ、

思惑通り大当たりとなりました。

 

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こうして安来節は吉本の新たな人気演目となって、昭和10年(1935年)

あたりまで人気を博すことになりました。

 

昭和初期には上方落語に代わって漫才が台頭することになりますから、

安来節はまさに過渡期の吉本を支えた重要な演目だったのです。

 

ちなみに安来節の大ブームの折には、演者の争奪戦となり出演料も高騰。

 

出雲には安来節で家を建てたという「安来節成金」まで現れるほどでした。

 

現在では考えられないほどのブームだったのでしょう。

 

ドラマでも風太が安来節の踊り子たちをスカウトして、北村笑店の舞台に

立たせることになるはずですから、このあたりにも注目ですね♪

 

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