わろてんか|芸人の月給制は実話!だがとんでもない裏があった!

 

朝ドラ『わろてんか』では、藤吉とてんの北村笑店は芸人の月給制

導入することになります。

 

これはてんの提案で、既存の歩合制(しかも完全歩合制)ではケガなどで

働けなくなった場合には収入はいきなりゼロになってしまいます。

 

そんな不安定な生活を改善して、安心して働いてもらうためには月給制は

不可欠と藤吉に訴えます。

 

彼女の熱意を感じた藤吉もこれに応じて、北村笑店では当時としては

画期的であった月給制を導入します。

 

そしてこのエピソードはモデルとなっている吉本興業部が、月給制を導入

したことが下敷きになっています。

 

ところがこの月給制にはとんでもない裏があったのです。

 

 

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芸人の月給制は実話!だがとんでもない裏があった!

 

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北村笑店のモデルとなっている吉本興業部が、専属の芸人たちに

月給制を導入したのは大正11年(1921年)ごろのことです。

 

その前年に三友派の初代桂春団治を引き抜いて、三友派は事実上崩壊。

 

その年には長年にわたり盟友関係を築いていた浪速落語反対派を

乗っ取って、吉本は本格的に太夫元をはじめています。

 

さらに同年の9月には旧三友派の四代目笑福亭松鶴ら70名あまりの

落語家たちを傘下に収めています。

 

旧反対派の芸人たちも既に参加となっていましたから、吉本興業部は

たちまちかなりの大所帯となっています。

 

当時は既に大阪の演芸会を支配する存在になっていましたが、

吉本が次に打ち出したのが芸人たちの月給制です。

 

それまでは何の保証もなかったその日暮らしの芸人たちには、

この月給制は大いに喜ばれ信頼を増しています。

 

吉本は春団治を引き抜いた際には月700円の月給制を導入していますが、

それは彼に限ってのことです。

 

それを幅広く導入しており、当時としてはこのようなシステムは画期的

でしたからたちまち上方の演芸界では話題になります。

 

ところがドラマの北村笑店のようにすべて芸人に対する親切心だけでは

なく、とんでもない裏もありました。

 

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吉本は月給制を導入した際に、芸人たちの借金を吉本に一本化しています。

 

月給制の導入に安心したのか、かなりの数の芸人たちがこれに応じた

ようですが、その真意は他の太夫元に移籍できないように芸人たちを

借金で縛ることでした。

 

同時に見込みのある芸人にはジャブジャブと前貸しをおこなっており、

前述の桂春団治や都々逸で鳴らした初代柳家三亀松らは豪遊などを重ねた

結果、借金まみれになってしまい、事実上吉本から抜けることができなく

なってしまいました。

 

当時の芸人は芸の肥しと称して派手に遊ぶことが多かったので、

そのあたりも吉本せいや泰三は見抜いていたのです。

 

その人柄の良さで長年にわたって所属芸人から慕われたせいですが、

ドラマのてんのような単純なお人好しではありませんでした。

 

月給制の導入はその最たるもので、裏ではキッチリとそろばんも弾いていたのです。

 

とは言え、女だてらにあの手この手を用いてさらに吉本を大きくしていった

この人の手腕には感服するばかりですね♪

 

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