わろてんか|団吾(だんご)の赤い人力車は実話ではなかった!

 

朝ドラ『わろてんか』では、落語界の風雲児・月の井団吾が登場。

 

いきなり道頓堀川に飛び込んだと思えば、タニマチらと芸者をあげて

乱痴気騒ぎと噂にたがわぬ破天荒ぶりを披露しています。

 

そして団吾といえば赤い人力車

 

ひときわ目立つ真っ赤な人力車で寄席にやって来るばかりか、

借金取りまで捲いています。

 

そんな団吾のシンボルのような赤い人力車ですが、これらは

そのモデルである初代春団治のエピソードが下敷きにあります。

 

ところが実はこれらのエピソードは実話ではなかったのです。

 

 

団吾(だんご)の赤い人力車は実話ではなかった!

 

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まず団吾の人力車の下敷きとなっている桂春団治のエピソードから。

 

春団治は自宅から寄席まで特注の赤い人力車で通っていました。

 

車の前には「春團治」と書かれた大きな提灯が掲げられ、車夫の法被にも

同じ文字が染め抜かれていました。

 

なぜ真っ赤な人力車かと言えば、借金漬けの自身と「火の車」に

掛けたことにちなむとされています。

 

とは言え、この派手な赤い人力車が現れると大阪の人びとはざわつきはじめます。

 

そして人力車が寄席の前に停まると、人々は誘われるように寄席に

なだれ込み、すぐに満員御礼の札掲げられたといいます。

 

まさに当時の大阪で一番客を呼べる芸人だった春団治らしいエピソードですが、

実は伝説の類で実話ではありません。

 

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その証拠に春団治の先妻のトミや当時の弟子であった二代目桂小春や

二代目桂小春団治もこれを否定。

 

当時の女中までもが、この赤い人力車を否定しています。

 

また春団治の娘の東松ふみ子もその著書の中で、「派手な人力車に乗って

はった」と回想していますが、赤い人力車とは一言も言っていません。

 

どうやらこの赤い人力車のエピソードは、明治期から大正のはじめまで

活躍した上方落語の三代目桂文三のもののようです。

 

文三は「赤俥の文三」と呼ばれたように、本当に赤い人力車に乗っていました。

 

しかもこれまた破天荒な落語家で、赤い人力車を乗り回したばかりか、

金の鎖や指輪を見せびらかしたり、入れ墨をちらつかせたり、

彼の振る舞いは「大阪名物」とまでされていました。

 

文三は大正6年(1917年)に59歳で心臓麻痺によって亡くなっていますが、

晩年の活躍期が春団治と重なっており、いつしか赤い人力車の話も

春団治の伝説のひとつになったようです。

 

どちらも派手で破天荒、しかもともに一世を風靡した落語家で寄席の紅梅亭

を本拠地にしていたなど、共通点が多いのも理由のひとつでしょう。

 

また春団治の人力車の提灯や法被は実話で、人力車も派手だったことから

赤い人力車が語られるようになったのでしょう。

 

このように現在でもまことしやかに語られる桂春団治の赤い人力車の

エピソードは、実話ではなかったのです。

 

とは言え、ドラマで描かれている月の井団吾の破天荒ぶりは、

ほぼ春団治そのものなので注目ですね♪

 

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