とと姉ちゃん|花山の死後の編集長は誰?暮しの手帖の花森安治は?

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、どうやら「あなたの暮し」の編集長

花山伊佐次が体調を崩すようです。

 

恐らくその後、亡くなってしまう可能性も高いと思いますが、

その様子は最終週に描かれることになるでしょう。

 

花山と言えば、前身の「スタアの装ひ」の途中から参加して、

直線裁ちのアイデアや商品試験の歯にもの着せない論調など

「あなたの暮し」を人気雑誌に育ててきた功労者です。

 

しかも雑誌の内容や企画だけではなく、表紙のイラストや挿絵なども

彼の手によるもの。

 

彼が亡くなるということは、同誌も大黒柱を失うということです。

 

その死後の編集長は誰が就任するのでしょうか?

 

モデルとなった「暮しの手帖」の史実からひも解いてみます。

 

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花山の死後の編集長は誰? 暮しの手帖の花森安治は?

 

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花山のモデルとなった「暮しの手帖」初代編集長の花森安治は、

昭和53年(1978年)1月14日に心筋梗塞で66歳の生涯を終えています。

 

死の直前まで彼は同年の2月発行の2世紀52号(152号)の挿絵などに

携わっており、それが彼が手がけた最後の号となりました。

 

彼は同誌にとって大功労者だったので、1月23日に暮しの手帖社の社屋で

「お別れ会」も開かれて、しめやかに送り出しました。

 

そして彼の死後、ぽっかりと空いてしまった編集長のポジションには

社長の大橋鎭子が兼任で就任しました。

 

どうやらこれは花森が非常に大きな存在だったので、すぐには編集長の

適任者が見つからず、とりあえず鎭子が就任したというニュアンスのようです。

(実際にその後編集長の地位を譲っている)

 

そして鎭子は彼の亡き後も路線変更せずに、

ひたすら花森テイストを踏襲していきました。

 

淡々と庶民の生活の向上に寄与する企画を掲載し続けたのです。

 

ただし表紙に関しては影絵作家の藤城清治氏が引き継いで、

当初は花森の作風を継承しましたが、徐々に自分のテイストに

変更していきます。

 

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藤城氏は「暮しの手帖」の黎明期の昭和23年(1948年)から

影絵の連載をしており(平成8年に終了)、昭和49年(1974年)には

カラー影絵の連載も開始しております。

 

このように長きにわたり同誌に関わっていたことから、花森亡き後の

表紙絵担当に白羽の矢が立ったのですね♪

 

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(藤城清治氏とその作品)

 

ただし、大橋鎭子が編集長に就任した直後の2世紀53号の表紙には、

花森が描いた女の子の絵が表紙になっています。

 

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この絵は生前彼が「自分に何かあったらこれを使うように」と

鎭子に託したもので、まさに彼の遺産のような絵だったのです。

 

このように花森安治が亡くなっても、彼のテイストやスピリットは

その後の「暮しの手帖」に承継されていきました。

 

これらに鑑みれば、ドラマでも花山伊佐次が亡くなった後は

常子が編集長を兼務する可能性が高いですね~

 

このあたりはドラマの最終盤にあたりますから、注目です!

 

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