あさが来た|広岡浅子は本当に炭鉱を改革して坑夫たちに慕われたの?

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさは加野炭鉱の改革をして、

飯場制度を廃止することに成功します。

 

そのためか加野炭鉱の雰囲気もかなりよくなっていきます。

 

親分の治郎作などは、坑夫たちがこんなに楽し気に採掘する現場は初めてで、

すべてはあさのお陰と感謝されます。

 

それどころか、他の坑夫たちもあさに感謝の言葉を惜しまずに、

あさの気持ちがいかに伝わったのかを物語っています。

 

それを見ていた亀助も男泣きしますし、このシーンは かなり感動的だと思われます。

 

サトシの問題は残りますが、とりあえずあさも苦心した加野炭鉱の件は収束に向かいます。

 

それと同時に加野炭鉱の石炭の採掘量も飛躍的に伸びていくはずですから、

あさや加野屋も安心できますね~

 

ところであさのモデルとなった広岡浅子もこのように炭鉱を改革して、

坑夫たちから慕われたのでしょうか?

最近意外な資料を発見したので併せてご紹介します。

 

広岡浅子

 

広岡浅子は本当に炭鉱を改革して坑夫たちに慕われたの?

 

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広岡浅子については複数の書籍を読みましたし、ネットでも調べたのですが、

買収した潤野炭鉱についての資料は非常に少なかったです。

 

しかもその多くが、1895年(明治28年)に固い断層に阻まれて休業に追い込まれた

潤野炭鉱を再稼働させるべく乗り込んだことについて。

 

当時47歳であった浅子は、潤野炭鉱の坑道に入り陣頭指揮をとります。

 

その際に、浅子はピストルを携帯したという有名なエピソードもありましたね。

 

それ以外の時期の浅子と炭鉱との関わりを記した資料は

ほとんど見かけなかったのですが、最近発見しました。

 

それは長尾剛氏が著者の「広岡浅子 気高き生涯」という書籍です。

 

同書にはそれほど分量は多くはないものの、浅子が炭鉱を買収した直後の

1886年(明治19年)に潤野炭鉱へ赴く描写があります。

 

それによれば坑夫たちに挨拶をした浅子に対して、女性であるという理由で

坑夫たちは笑ったり、嘲ったり、不満を表したりとまったく歓迎されなかったとのこと。

 

まさにこのあたりは、ドラマと同じですね。しかもその後、

浅子は坑夫たちの給金のアップ福利厚生にも尽力したとのくだりもあります。

 

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具体的にどのようなものだったかは記載がありませんが、

少なくともあさのモデルの広岡浅子も炭鉱の改革まではいかなくとも、

坑夫たちの待遇の改善策は実施したようですね。

 

同書参考文献には、当時の新聞や雑誌、論評などに加え、

大同生命日本女子大から資料を貸与されたとの記載もありますから、

ちゃんとした裏付けもあるようです。

 

そして1895年に潤野炭鉱の再稼働の際には、坑道まで潜って陣頭指揮を執りますが、

その際には坑夫たちにも認められて、 「さすが姉御」と慕われた記述もあります。

 

ドラマでもあさの年齢や加野炭鉱へ行った時期は異なりますが、

炭坑の改革や坑夫たちからも慕われますよね~

 

当初はドラマオリジナルかと思いましたが、実際に広岡浅子も

似たようなことを行いましたし、坑夫たちからも慕われていたようです。

 

このあたりはさらなる調査をして、何か収穫があればご紹介したいと思います。

 

いずれにしても、あさの加野炭鉱でのエピソードも

史実にヒントを得て創られているようです♪

 

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