わろてんか|吉本興業は創業家を追放していた!上場廃止の荒業も

 

朝ドラ『わろてんか』で北村笑店のモデルとなっているのは、日本最古の芸能プロダクションの

吉本興業です。

 

場末の寄席からスタートした同社ですが、ヒロインてんのモデルの吉本せいや藤吉のモデルの

吉本泰三、そして風太のモデルとなっている林正之助らの活躍でお笑い王国を築きました。

 

そんな吉本興業ですが実は創業家を追放しており、現在では吉本家や林家とは無関係の会社

となっています。

 

その際には上場廃止という荒業も使っていますが、そのあたりをご紹介します。

 

 

吉本興業は創業家を追放していた!上場廃止の荒業も

 

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吉本興業部が株式会社となったのは昭和7年(1932年)のことで、初代社長には吉本せいが

就任しています。

 

ただし昭和10年(1935年)や11年(1936年)ごろから、会社の実権はせいの弟の正之助に

移ったとされており、昭和23年(1948年)には正之助は2代目社長に就任しています。

 

吉本せいの2人の跡取り息子は早世したことから彼女の死後は、名実ともに実権は林家へと

移ることになります。

 

その後は創業家以外の橋本鐵彦(5代目社長)や八田竹男(6代目社長)が社長を務めたことも

ありましたが、平成3年(1991年)に正之助が亡くなるまでは事実上の最高責任者として

君臨していました。

 

また平成11年(1999年)には正之助の娘の林マサさんの婿である林裕章さんが

9代目の社長に就任するなど、依然として創業家が会社経営に関与しています。

 

また創業家の直系にあたるマサさんは院政を敷いたとも言われており、会社内では隠然とした

権力を振るっていたようです。

 

平成17年(2005年)に裕章さんは癌により社長在任中に亡くなっていますが、その後はマサさんと

経営陣の間にお家騒動が生じます。

 

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マサさんは元暴力団幹部の実業家を介して、息子の正樹氏を取締役に就任させることなどを要求。

 

吉本側は断固としてこれを拒否しましたが、マサさんから依頼を受けたと思われる他の実業家も

現れて、株主総会などもかなり紛糾したようです。

 

さらにマサさんは週刊誌にも登場して、吉本の特別顧問の中田カウスを痛烈に批判する一幕も

ありました。

 

そんな中、吉本興業がとった驚きの手段は上場廃止でした。

 

吉本興業は昭和36年(1961年)に、芸能事務所としては初となる株式の上場をしていました

(東証一部)

 

2009年に「安定した株主の元で経営をおこないたい」との意向から、自社株の公開買い付け

TOB)をおこなって上場廃止に至っています。

 

これにより大株主だった林家は吉本興業に対しては影響力を失って、現在の株主はフジテレビや

ソフトバンクの子会社や電通などが名を連ねています。

 

林家や吉本家の創業家が経営する資産管理会社の大成土地という会社も株主ですが、株式の比率上

影響力はさほど大きくありません。

 

さらにマサさんの長男の正樹氏はもともと吉本本社にプロデューサーとして勤務していましたが、

子会社に出向後に退職しています。

 

このように現在の吉本興業は創業家である吉本家や林家とは、ほとんど無関係と言っても

差し支えありません。

 

お家騒動が原因とは言え、創業者の吉本せいや中興の祖でもある林正之助が生きていたら、

このような事態をどのように感じたのでしょうか?

 

そう考えると、ちょっと悲しくなるような出来事ですね。

 

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