とと姉ちゃん|君子が母親の青柳滝子と対立・絶縁した理由!史実は?

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、竹蔵の会社からの援助が打ち切られることになり、

経済的に困窮した小橋一家は東京へ移住することになります。

 

一家が向かう先は東京の深川です。

 

深川には君子の実家の青柳商店があり、君子は子どもたちの行く末を考えて、

母親の青柳滝子を頼ろうと決断したのでした。

 

ただし君子と滝子はもう長い間絶縁状態にあり、常子ら小橋家の子供たちにも

母方の祖父母は既に亡くなっていると話していました。

 

君子と滝子の間には複雑な問題もあるようですが、

ふたりが対立・絶縁した理由はなんだったのでしょうか?

 

深川 材木問屋

 

コンテンツ

君子が母親の青柳滝子と対立・絶縁した理由!史実は?

 

スポンサードリンク

 

君子とその母親の滝子の対立・絶縁の理由ですが、

どうやら滝子のほうに原因はありそうです。

 

滝子は君子に自分の考えを押し付けたり、結婚相手を勝手に選んで

縁談を進めようとしたりなど、かなり強引な側面があったようです。

 

当時の君子は既に竹蔵に想いを寄せていたことから滝子に激しく反発、

滝子もそれに激怒し、君子を実家から追い出しました。

 

滝子は君子の母親ながら、夫が早逝して以来、200年続く老舗の材木問屋の

青柳商店をひとりで切り盛りしてきたやり手の女将。

 

性格もまったく異なるばかりか、かなり強引な面もあるようです。

 

しかし、それもすべて江戸時代から続く青柳商店の暖簾を守るため

 

昭和初期と言ってもまだまだ家制度が色濃かった時代ですから、

滝子のやり方にも一応の言い分はありそうですね~

 

そんな滝子に嫌気がさして絶縁した君子でしたが、やはり女手一つで

三人の娘を食べさせていくことは難しいようです。

 

当時は男性と女性の賃金の格差なども激しく、女性が男性並みに稼ぐならば、

医者か看護婦、教師になるくらいしかありませんでした(自営業や水商売は除く)。

 

長女の常子が女学校を辞めて働いて家計を助けるという選択肢もありますが、

そうはさせたくない君子の苦悩は痛いほどわかりますね~

 

絶縁した経緯からすれば、君子がもっとも頼りたくない人物は滝子のはず

ですから…。

 

またこのあたりのストーリーや親子関係についてはドラマオリジナルで、

史実とは異なるようです。

 

スポンサードリンク

 

まず常子のモデルの大橋鎭子の母方の祖母ですが、こちらに関しては

今のところまったく資料がありません

 

鎭子の母親の久子の祖父の宮原満吉が大橋一家に資金援助をしていて、

鎭子も満吉については多くを語っているのに対し、その妻にあたる人物

に関しては名前すらわかっていません。

 

恐らく早い段階で死別したか離縁したように思います。

 

また鎭子の父方の祖父母は大谷谷吉・きん夫婦で、こちらはドラマの滝子と同じく、

東京の深川で材木問屋を経営していました。

 

こちらの夫婦に関しましても資料は少ないのですが、鎭子の父の武雄の

結核の療養中にきんが見舞いに来たり、今わの際に立ち会っていることなどから、

ドラマのように関係は悪くはなかったと思われます。

 

いずれにしても君子と滝子の確執や対立、そして絶縁などはドラマオリジナル

の可能性が高いですが、常子ら小橋家の子どもたちにも親子の在り方などを

投げかける役割を果たしそうです。

 

最愛の母親と祖父母の諍いという最悪の構図の間に置かれることになる

常子ら小橋家の三姉妹は、このような状況で何を考えて、

どのような行動をとるのでしょうか?

 

このあたりにも注目していきたいところですね!

 

(PR)

便秘や基礎代謝でお悩みの方必見!期間限定お試し価格でのご提案です

「自信あり」とのことで初回のみでの解約も可能です。一読の価値はありそうです

 

毎日19:00~24:59開催!楽天スーパーDEAL6時間限定アイテムが登場!

スポンサードリンク

 

4 Responses to “とと姉ちゃん|君子が母親の青柳滝子と対立・絶縁した理由!史実は?”

  1. 歴ジジ より:

    この朝ドラも両親のやや年上の時代で、私は小さい時から興味もあって祖父母、両親から地方の昔の時代背景、生活等を聞いており、まるで家族歴史を見るようです。明治生まれの祖父母は、幼少を過ごした時代は江戸時代の色濃く残っている年代です。祖父母の両親は明治初頭生まれで江戸時代です。幼かった私ですが、学校、職業、戦争などの話に興味があり、中学に上がったことは少し、色気が出て結婚に興味を持ちました。地方は殆どお見合い結婚で双方の両親が家庭環境等により決めていたようで、この傾向は昭和50年代までの子っていたような気がします。学校も昭和初頭生まれ以前まで地方は高等小学校卒がほとんど。当時は日本全体が貧しく、知力があって向学心がある若者は官費で入学できる軍関係、師範、逓信、鉄道、気象などがありました。当時は講習所、教習所、官吏練習所などの呼称も興味があります(笑)。明治初頭には女紅場もありました。私は時代考証を鑑みながら楽しんでいます。

    • rekidora より:

      歴ジジ様

      コメントありがとうございました。

      いや~祖父母様や両親から当時の時代について生で聞けたなんて、素晴らしいですね~
      特に江戸時代から明治時代は社会のシステム自体も大幅に変り、急激に近代化した
      激動の時代です。

      当時のことを実体験した人はもはやほとんどいないことから、ものすごく貴重な体験でしたね~

      教育機関などもドラスティックに変化していったことから、どれも興味深いですね~
      女紅場などは資料も少ないですから、調べていけば面白いように思えます!

      ご覧いただきありがとうございました!!

      • 歴ジジ より:

        信用出来るお方だと推察しまして、お返事をさせていただきました。私の感想返信メ-ルを読み起こし、恥ずかしい限りです(笑)。文法、助詞、誤字?がバラバラ(笑)。私は広島に住んでおり、当地は戦中までは軍都とともに学都でもありました。官立広島文理科大学、広島高等師範学校・広島師範学校を初め、高等工業専門学校【今の大学】、旧姓中学・高等女学校・旧浅野藩校の流れを組む修道中学等【現在の高校】が多く、それに加え海軍士官を養成するエリ-ト校である海軍兵学校などがあった正しく、学都でした。残念な事象として世界最初の被爆県でもありますが、被爆前の戦中・戦前の広島・芸州に興味があります。旧藩時代を生きた人達は昭和初頭まで、戦前・戦中に生活されておられた方も平成40年‥‥‥。日本を歴史を知る上での生証言ほど信頼度の高いものはありませんね。失礼しました。

        • rekidora より:

          歴ジジ様

          コメントありがとうございました!
          文法など堅苦しいことは抜きでお気軽に書き込んでくださいね。

          おっしゃる通り、広島の歴史は非常に興味深いですね~
          終戦まではまさに軍都で神戸以西でもっとも重要な都市でしたよね。

          それ以前にも肥沃な土地で通行の要所だったことから、大内氏や毛利氏、福島氏、
          浅野氏など有力者が治めた土地ですよね~

          被ばくについては残念ですが、広島の歴史については興味深い史実が
          ゴロゴロしてそうですね♪

          なかなかコアなネタもありそうで、楽しみですね~
          ご拝読いただきありがとうございました!!

rekidora へ返信する

サブコンテンツ

このページの先頭へ