とと姉ちゃん|花山伊佐次は独裁者になる?花森安治と大橋鎭子の関係

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、広告掲載を巡って社を去っていた

花山伊佐次があなたの暮しの編集部に復帰しました。

 

これらのエピソードはドラマオリジナルで、モデルとなった

花森安治のその後の活躍などに鑑みれば復帰は「お約束」でしたね♪

 

ところであなたの暮し社の社長は常子で、花山は編集長の立場です。

 

しかしこと雑誌の編集に関しては花山の影響力が強く、

社長の常子といえどもおいそれと口を出せませんね。

 

本来は従業員の肩書の花山も平気で常子を怒鳴りますし、

まるでどちらが社長かわからない振る舞いです。

 

これはモデルとなった花森安治と大橋鎭子の関係が下敷きにあるのですが、

花森はまさに独裁者だったのです!!

 

鎭子と花森

 

花山伊佐次は独裁者になる? 花森安治と大橋鎭子の関係

 

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まず花森安治は昭和21年(1946年)の衣装研究所(暮しの手帖社の前身)

を立ち上げてから、昭和53年(1978年)に亡くなるまで、

30年以上にわたり編集長の地位にいました。

 

しかも記事の執筆や表紙や挿絵の作成、割り付けやデザインはもちろんのこと、

校正や印刷の指示、製本に至るまで細かい点まですべて関わっており、

これは亡くなるまで続いていました。

 

もちろん完璧主義で天才肌の彼は簡単に妥協などはしなかったことから、

編集部には彼の怒号が響くこともしばしばでした。

 

そして「暮しの手帖」に関してはすべての決定権は花森にあり、

彼なしでは雑誌作りは動かなかったですし、社長の大橋鎭子も口を挟むどころか、

時には叱られたりもしました。

 

まさに花森は「暮しの手帖」の独裁者であったわけですが、

彼自身「編集は独裁的でなければならない」という信条を持っていました。

 

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要するに合議制などで決めてしまうとどこかに妥協が生まれ、

いいものは作れないということなのでしょう。

 

ドラマでは常子が花山に内緒で裏表紙に広告を掲載していましたが、

リアルでは不可能なことなのでした。

 

また同誌の創刊直後は、出版業界や編集業務に精通しているのは花森だけで、

一にも二にも雑誌の良し悪しは彼の双肩にかかっていたのです。

 

創刊時から長らくは花森と大橋三姉妹、中野家子、横山啓一、清水洋子の

7人体制(大橋晴子はすぐに退社)でしたが、経営が安定した昭和30年

(1957年)に新たな社員を採用します。

 

そこで入社した河津一哉氏も、当時を振り返って編集実務に詳しいのは花森だけ

だったことを証言しています。

 

すでに衣装研究所の立ち上げから9年、暮しの手帖の創刊から7年の月日が

経っていましたが、依然として「花森頼み」の状態は続いていたのです。

 

とは言え、鎭子らが何もしていなかったわけではなく、作家などの執筆者たちとの

交渉や資金面、企画の立案などに携わっていました。

 

雑誌に関しては花森が独裁者だったのですが、ちゃんとした役割分担ができており、

だからこそ彼も雑誌作りに専念できたのでしょう。

 

また時として花森の仕事が乗らない時には、

鎭子が「あの名編集長の花森安治が何をしている!」

と言ったツッコミを入れて、彼も苦笑しながらも再び仕事に集中したそうです。

 

このあたりにも、後世まで名コンビと言われたふたりの良好な関係が窺えますよね~

 

職人肌で偏屈な花森に仕事のしやすい環境をつくって、時にはうまく御した

鎭子の手腕も良質の雑誌作りに大きく貢献したでしょう。

 

ドラマでは常子はヒロインだけあって色々と雑誌作りに口を挟むことも

あるでしょうが、復帰した花山伊佐次の独裁者ぶりにも注目ですね♪

 

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