とと姉ちゃん|小橋常子の死や最後|モデルの大橋鎭子の病気や死因

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』は、ヒロインの小橋常子は編集長の

花山伊佐次とともに、総合生活誌「あなたの暮し」

メジャー雑誌へと育て上げていきます。

 

出版業界に身を置いていたとはいえ、素人に毛が生えた程度だった

常子が花山の手を借りて様々な企画で読者を魅了し、

あなたの暮し出版を成長させていくのはドラマの大きな見どころです。

 

そんな常子の死や最後はどのようなものになるのでしょうか?

 

NHKの朝ドラでは必ずしもヒロインの最期が描かれるとは限りませんが、

モデルの大橋鎭子の死因や病気などからひも解いていきます。

 

大橋鎭子

 

まさに暮しの手帖に捧げた生涯!

 

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まず前提として、小橋常子のモデルの大橋鎭子の生涯はまさに

「暮しの手帖」に捧げた生涯というものでした。

 

昭和21年(1946年)に弱冠26歳で花森安治とともに衣装研究所

(暮しの手帖社の前身)を立ち上げますが、最初に相談した田所太郎には

「そんなことできるわけない」とひどく驚かれました。

 

既に職業婦人として社会進出をしていた女性もいましたが、

大半は雑用など男性社員のアシスタント的な存在でした。

 

そのため当時は20代の女性が起業することなど、

あり得ないことだったのです。

 

鎭子もそのあたりはかなりの覚悟をもって臨んでおり、

社長と主婦業は両立できないと考え、26歳の若さで

生涯独身を貫くことを決意しました。

 

鎭子の肩書は社長でしたが、雑誌の内容についてはすべて花森が

決定権を持っていたことから、その役割は何でも屋といった感じでした。

 

企画や編集はもちろんですが、彼女の凄いところは著名人に

体当たりでお願いして、原稿の執筆を承諾してもらう点です。

 

川端康成や元皇族の東久邇宮成子さんなど、およそ不可能と思われた人物とも

粘り強く交渉し、最終的には「暮しの手帖」に寄稿してもらっています。

 

このあたりは彼女の度胸のよさと人柄のよさの賜物でしょう。

 

そして社長時代の彼女は「社員は家族」とのモットーのもと、

社員たちを非常に大切にしたことで知られます。

 

現在ではポピュラーな制度となった産休育児休暇の制度を、

いち早く取り入れたのも彼女の提案でした。

 

当時は女性は結婚を機に退職するのは当たり前でしたが、

暮しの手帖社には産休を経て復職したベテランの女性社員たちが多くいました。

 

さらには残業する社員に夕食を出したり、かなり豪華な社員旅行を催したり、

あるいは突然死した社員の葬儀を社葬にしたりと、とにかく社員を大切にしたことで

知られています。

 

このように大橋鎭子の生涯は、会社と社員を守ることに捧げた人生でした。

 

小橋常子の死や最後|モデルの大橋鎭子の病気や死因

 

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大橋鎭子は昭和53年(1978年)に三十年来のパートナーだった

花森安治を失いますが、その後も精力的に活動し、

平成16年(2004年)に社長を横山泰子(妹の晴子の義理の娘)に譲るまで

現場を務めました。

 

出版業界という激務にも関わらず、当時の彼女の年齢は84歳という

高齢だったのは驚きですね!

 

彼女の自伝などを読んでも、20歳の時に結核のような症状の病気で

日本女子大学校を辞めた以外は大病などはなかったようです。

 

やはりかなり体力があり、馬力があった女性のようで、

平成22年(2010年)には90歳にして自伝「暮しの手帖とわたし」を

刊行しています。

 

そんな鎭子が亡くなったのは平成25年(2013年)3月23日で、

享年93歳。

 

死因は老衰からくる肺炎でした。

 

このようなモデルの大橋鎭子の人生に鑑みれば、ヒロインの小橋常子も

かなりの高齢まで精力的にあなたの暮し出版を切り盛りするでしょう。

 

またもし彼女の死が描かれるならば、鎭子と同じように

穏やかな最後となりそうですね。

 

いずれにしても常子はとにかく長生きして、80歳を過ぎても

元気に第一線で活躍することになりそうです!

 

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