とと姉ちゃん|小橋常子と大橋鎭子の雑誌づくりの違い!史実はどう?

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、長かった戦争もいよいよ終わることになり、

常子も自分の雑誌づくりへまい進することになります。

 

後に総合生活誌の「あなたの暮し」をヒットさせる常子ですが、

ご存知のようにこちらは大橋鎭子の「暮しの手帖」をモチーフにしています。

 

鎭子がファッション誌「スタイルブック」をヒットさせ「暮しの手帖」に

つなげたように、常子も「スタアの装ひ」というファッション誌をヒットさせて

「あなたの暮し」につないでいく流れです。

 

ところでこれら一連の常子の雑誌づくりですが、

鎭子の場合や史実との相違点をご紹介していきます。

 

暮らしの手帖1

 

コンテンツ

小橋常子と大橋鎭子の雑誌づくりの違い! 史実はどう?

 

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(動機)

 

まず大きな違いは雑誌づくりに至る動機です。

 

ドラマの常子はこれまで会った多くの自立した女性

(青柳滝子、東堂チヨ、早乙女朱美、お竜など)に影響を受けて、

女性のために役に立つ雑誌づくりを決意することになります。

 

大橋鎭子の場合はより現実的で、終戦後にまずは家族をどのように養う

ということを考えました。

 

戦争は終わりましたが、そこに待っていたのは終戦後の混乱期です。

 

食糧不足、物資不足が改善されるのは数年後ですから、

鎭子もどのように食べていくか、家族を養っていくかということを考えました。

 

戦争が終わっても賃金の男女格差は相変わらずでしたから、

早い段階から鎭子は会社勤めは諦めていたようです

(終戦後、一時的に日本読書新聞に戻りますが)

 

そして検討したのが自営業で、材木商洋裁店喫茶店などが

候補に挙がっていました。

 

もっとも有力だった材木商に関しては父の武雄の祖父が携わった仕事ですし、

空襲などで廃墟になった首都圏では仕事が増えると考えたようです。

 

しかし木の良し悪しを判別する目がないことや母親の久子が

「女性の仕事ではない」と反対したことによって諦めます。

 

洋裁店や喫茶店では大きく儲けることができないと判断して、

最終的には「多くの人に読んでもらえる」雑誌づくりを選びました。

 

小橋常子の場合はいかにもドラマらしい理由が掲げられますが、

大橋鎭子の場合はかなり現実的で、まずは食べていくことが

念頭にあったのです。

 

(花山伊佐次や花森安治の関わり方)

 

ドラマの花山伊佐次とそのモデルとなっている花森安治

雑誌への関わり方も異なります。

 

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ドラマの花山は当初は常子の雑誌には参加せずに、

最初は小橋三姉妹だけで雑誌づくりをはじめます。

 

それでも雑誌「スタアの装ひ」は売れますが、史実は異なります。

 

大橋鎭子の場合は、最初から花森安治が雑誌づくりの指揮を執っており、

「スタイルブック」が売れたのも花森のアイデアによるところが大きかったのです。

 

(その他)

 

ドラマでは三女の美子が衣装や服飾を担当しますが、

モデルとなった大橋芳子は終始デスクを担当しており、

 

その役割を果たすのが花森(ほぼすべてのことに関わっていた)と

中田綾のモデルの中野家子です。

 

※中野家子は「美しい暮しの手帖」の刊行時から合流

 

またドラマでは出版社の資金面をどうするかは不明ですが、

リアルの大橋鎭子は何と資金のことは考えておらず(!)、

次女の鞠子のモデルの大橋晴子が融通に成功します。

 

細かいことを含めればまだまだ多くの相違点はありますが、

いずれにしても小橋三姉妹や花山伊佐次が雑誌づくりにまい進

することになりそうです。

 

常子が出版業界に入ることからようやく史実寄りになってきた

『とと姉ちゃん』ですが、これからが本番かもしれませんね。

 

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