とと姉ちゃん|常子の雑誌スタアの装ひのモデルはスタイルブック!

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、戦後まもなく常子は甲東出版を辞めて

自分の理想とする雑誌作りに取り組むことになります。

 

そこで文才のある鞠子と裁縫が上手な美子の協力を求めて、

遂に出来上がったのが雑誌「スタアの装ひ」です。

 

この雑誌は常子が作る記念すべき第1号となったファッション誌です。

 

しかし当時はファッション専門の雑誌は馴染がなく、

なかなか本屋に置いてもらえませんでした。

 

ところが闇市の露店で紹介したところ、飛ぶように売れて

初版の300部は瞬く間に完売となりました。

 

常子の雑誌作りはこの上ない順風満帆のスタートとなりますが、

この「スタアの装ひ」のモデルとなったのが大橋鎭子がはじめて刊行した

雑誌「スタイルブック」です。

 

この雑誌はどのようなものだったのでしょうか?

 

スタイルブック1

 

常子の雑誌「スタアの装ひ」のモデルはスタイルブック!

 

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大橋鎭子の「スタイルブック」は、昭和21年(1946年)に暮しの手帖社の前身の

出版社・衣装研究所が発売したファッション誌です。

 

当時としては珍しいファッション誌で、終戦直後の衣食住に事欠く時代でしたから、

せめて工夫次第で「衣」は向上するというコンセプトで発売されました。

 

創刊号の内容は、着物の記事での洋服の作り方やその有効な手段となる

直線裁ちを紹介したものです。

 

しかし当時は紙もインクも未だに配給制で高価なものでしたので、

「スタイルブック」の創刊号はB5版でわずか18ページという簡素なもの。

 

そんな雑誌でしたが創刊号の定価は何と12円で、

現在の貨幣価値に換算すれば5、6000円もする雑誌でした。

 

しかし衣装研究所の創立メンバーだった鎭子、晴子、芳子の大橋三姉妹、

編集長の花森安治、経理担当の横山啓一らの熱意が注がれた一冊でした。

 

そんなささやかな雑誌でしたが、そこには随所に花森安治のアイデアが

詰まっていました。

 

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まずタイトルを「スタイルブック」にしたのは、戦時中に敵性語として

禁じられた英語を持ってくることで、新しい時代のはじまりや

庶民が自由を取り戻したことを現しました。

 

そして花森は販売戦略として新聞広告を使うことを明言します。

 

しかも広告は朝日、毎日、読売の全国紙はもとより、

各地の地方紙まで掲載しました。

 

まだ海の物とも山の物ともわからいような雑誌の創刊号に、

これだけの広告費を投入したのは花森に勝算があったからです。

 

花森は闇市などを調査して、粗悪な紙で安直な興味本位の内容に過ぎない

カストリ雑誌が飛ぶように売れていたことを知っていました。

 

※カストリ雑誌

主にエロやグロ系の内容を扱っており、たいてい3号で旧廃刊すると言われた娯楽雑誌

 

終戦後の当時は庶民は活字や新しい文化に飢えていると考えた花森は、

大胆な新聞広告を使った戦略に出たのです。

 

しかもそのコピーには「少ししか作れません」という言葉を添えて、

希少価値をアピールしました。

 

その結果、「スタイルブック」の創刊号は売れに売れたのです!

 

ドラマの「スタアの装ひ」も創刊号はそれなりに売れて、

小橋三姉妹も大喜びすることになりますが、その人気は長くは続かないようです。

 

その後の顛末は別の記事に譲りますが、順風満帆の滑り出しのように思えた

常子たちでしたが、すぐに大きな壁に直面することになります。

 

それにしてもようやく常子が自分の雑誌に取り組んだことで、

物語はさらに加速すると思われます。

 

前半はフィクションが多く、テンポも決してよくはなかったので、

物語後半での巻き返しに期待ですね♪

 

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