とと姉ちゃん|常子が入社する甲東出版のモデルは日本読書新聞

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、常子はタイピストとして勤務していた

鳥巣商事をクビになり、甲東出版に入社することになります。

 

常子はこの会社で社長の谷誠治(山口智充)や編集者の五反田一郎

(及川光博)らと出会うことになります。

 

常子のモデルは「暮らしの手帖」の創業者の大橋鎭子。

 

ドラマはここに至るまでかなりフィクションの要素が大きかったのですが、

いよいよ常子も出版人としてのスタートを切ることになります。

 

ところで常子が入社する出版社・甲東出版のモデルは、

大橋鎭子が入社した日本読書新聞です。

 

この出版社はどのような会社だったのでしょうか?

 

日本読書新聞

日本読書新聞(1970年代)

 

常子が入社する甲東出版のモデルは日本読書新聞

 

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日本読書新聞は、昭和5年(1930年)11月に刊行した「読書新聞」を前身とする

書評新聞を発行していた出版社です。

 

書評新聞とは様々な書物の紹介や評価を専門にする新聞で、この日本読書新聞は

その草分け的な新聞でした(昭和12年創刊)。

 

大橋鎭子が日本読書新聞に入社したのは昭和16年(1941年)の春。

 

鎭子は興銀を退職して日本女子大学校に入学しましたが、体調不良のために

前年に退学していました。

 

ようやく体調も回復し、女子社員募集の広告を見て面接にいきましたが、

興銀時代のキャリアが評価されてその場で採用となりました。

 

鎭子が入社したころの日本読書新聞は時勢を反映してか、かなり軍部寄りの書評をし、

日中戦争なども正当化する論評を発表していました。

 

しかも入社4か月後には、日本読書新聞は国家統制の一環として結成された

日本出版文化協会(文協)の機関誌に移行されてしまいます。

 

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日本出版文化協会とは内閣情報局の監督下で、国内に流通する出版物の管理・統制

をおこなう機関です。

 

つまり国や軍部の意向に沿った出版物を流通させるために広く出版物をチェックするのが、

文協の役割でした。

 

たとえば出版社が本を出版する際には、文協に原稿と希望する発行部数を提出します。

 

文協が内容を精査して、その本の出版の許諾や部数の決定をするというわけです。

 

文協が認めない本の出版は認められないことから、事実上の検閲機関でその頃には

表現の自由は完全になくなっていたということですね。

 

鎭子は日本出版文化協会の秘書室に勤務することになりますが、

当時の上司は古賀英正で、後の小説家の南条範夫でした。

 

その後、昭和18年(1943年)に文協が日本出版会として組織を改編した際に、

鎭子は日本読書新聞の編集部に戻って、再び出版人としてのキャリアを積みはじめる

ことになります。

 

当時の主な仕事は書評に関連するものと思われますが、鎭子はこのあたりについて

多くを語っていません

 

やはり時代が時代なので、取り上げている書物は戦意高揚を謳うものが多かったはずですから、

あまり当時を振り返りたくない気持ちもわかりますね。

 

しかし鎭子はこの日本読書新聞時代に出版のイロハをはじめとして、

後の雑誌の刊行につながる多くの大切なことを学んだはずです。

 

大橋鎭子の場合はこのような経緯を辿りましたが、ドラマの甲東出版は

通常の出版社のようです。

 

やはり鎭子が辿った経緯はやや複雑ですし、日本読書新聞にても日本出版文化協会にしても、

少なからず国や軍部に協力した機関であることから、このような改変をしたと考えます。

 

いずれにしてもようやく常子も出版社の門を叩くことになり、出版業界へと足を踏み入れます。

 

常子の奮闘に期待ですね♪

 

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