とと姉ちゃん|中田綾の結婚と常子との別れ!ふたりの再会はいつ?

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、常子は同級生の中田綾

すっかり打ち解けました。

 

当初は冷ややかな綾でしたが、常子の仕事探しを手伝ったりしますし、

すっかりふたりは親友といった感じですね。

 

ですが、ふたりは深川女学校の最終学年です。

 

卒業後常子は就職することになりますが、綾はやはり結婚するようです。

 

※追記

ドラマでの綾の結婚相手は医大生です

 

そのため女学校の卒業式がふたりの別れとなりますが、

再会するのはいつになるのでしょうか?

 

綾のモデルの中野家子の経緯等からご紹介していきます。

 

中田綾の結婚と常子との別れ! ふたりの再会はいつ?

 

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中田綾のモデルの中野家子につきましては別の記事でも書きましたが、

新事実などもわかったので、ここでまとめておきます。

 

常子のモデルの大橋鎭子と家子が出会ったのは昭和7年(1932年)に、

ふたりが府立第六高等女学校に入学後です(当時は神田家子)。

 

当時の第六高女は5年制だったことから、鎭子は12歳から17歳までを

家子と過ごします(鎭子は早生まれ)。

 

鎭子の女学生時代の写真の多くに家子も写っていますから、

ふたりは本当に仲の良い親友だったようです♪

 

ふたりは昭和12年(1937年)の3月に第六高等女学校を卒業し、

鎭子は日本興業銀行に就職し、家子は結婚したようです

(但し、家子の結婚の明確な時期は不明)

 

ドラマでも同時期に常子と綾は深川女学校を卒業しますが、

綾は卒業と同時に結婚することになるようです。

 

話しを史実に戻しますと、家子は結婚後半年あまりで夫が出征することになり、

結婚生活はわずかな期間に終わります。

 

その間に家子は子供を授かりますが不幸にも夫が戦死してしまい(時期は不明)、

家子は若くして戦争未亡人となってしまいます。

 

それから終戦までの家子の詳細は不明ですが、鎭子とは昭和23年(1948年)ごろに

再会します。

 

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当時の鎭子は妹の晴子と芳子、編集者の花森安治、経理担当の横山啓一の5人で

衣装研究所という出版社を経営していました。

 

そして新たに雑誌「暮らしの手帖」を刊行するにあたり、中野家子と清水洋子に

声をかけます。(後にシャンソン歌手になる石井好子も誘ったが、断られている)

 

人手不足ということに加え、幼い子どもを抱えて仕事を見つけるのも困難だった

家子の助けになれば、という理由で鎭子は家子を誘いました。

 

家子も当初はあくまでも短期間「お手伝い」という感覚で出版社の仕事に関わりますが、

その後は主要メンバーとして携わることになります。

 

その後鎭子の出版社は雑誌「暮らしの手帖」を大ヒットさせることになりますが、

家子は得意の裁縫の腕を活かして、衣装や小物などの製作を担当しました。

 

暮らしの手帖創刊号

※暮らしの手帖創刊号

編集担当に中野家子の名前があり、左の小物入れも家子が製作

 

結局家子は80歳になるまで(平成11年ごろまで)、鎭子と一緒に働きました。

 

なお、長年にわたり「暮らしの手帖」を支えた花森安治は昭和53年(1978年)に

亡くなりますが、鎭子が最後に花森と面会した際も、家子は同席しています。

 

鎭子と家子の出会いは12歳の頃ですから、まさに生涯を通じての親友

と言っても過言ではありませんね♪

 

このような家子の人生がベースとなっている中田綾ですから、

女学校卒業後に結婚し、常子とはいったん別れますが、常子と小橋三姉妹が雑誌

「あなたの暮らし」を刊行する頃には合流するはずです。

 

※追記

中田綾は結婚後、村野綾になっており名古屋在住でした。

医者の夫が軍医として満州に赴任することになりますが、

残念ながら夫は戦死する模様です

 

そして綾は晩年まで常子とともに、「あなたの暮らし」の出版に関わることに

なるでしょう。

 

ドラマでは女学校卒業とともにに綾はいったん退場しますが、

戦後になって帰ってくるので、それ以降のふたりの関わりなども楽しみですね!!

 

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